一体感、ライブ感の共同体験は言葉を超越する。

2人の友人と食事しました。今回の見出しはぼくの言葉ではなく、そのときに出た友人の話を少しアレンジしたもの。

音楽好きのその友人はアメリカにライブ(グレイトフル・デッド)を観に行くことがシーズン恒例のイベントとなっています。

そんな耳の肥えた彼が、自らの体験として「すごいライブやスポーツは、その場にいた観客同士の言葉が通じなくても、感激を分かち合えるもの」ということを話しました。この場合の”すごい”とは演奏や記録が快心というだけでなく、勢いとか、観客との一体感とかも含むトータルの結果として、でしょう。

すごい本番とか試合とか、アーティストやアスリート自身もさることながら、その目撃者たるオーディエンスも興奮するんですよね。アドレナリンが上がる、涙が出る、ハイファイブしたくなる。とにかく分かち合いたくなるんだな。

お目当ての人やチームを見る、応援する、同じ空気を吸う。観客やファンはそれだけでなく、実はむしろパワーをもらっているんですよね。

たとえば思いが強すぎる、矢沢永吉の熱いフォロワーは年末恒例の武道館ライブを前に、その年を振り返って「今年のおれはダメだった。矢沢さんに会わせる顔がないから行けない」という。本当にすごいことです。このシーンは『NHKスペシャル』で重松清さんのインタビューに答えていた矢沢さんのVTRで見て知りました。ファンも健気で、熱くて、美しい。感嘆したのを今も覚えてます。

これほどのめり込む対象がある人が”すごいライブ”に出会いのは、ある意味必然といえます。それを背負っているアーティストやアスリートをたとえて「宗教」といわれることがあるけど、ほんとうにそう思う。ファンは信者だよね。ぼくもマイケル・マン監督の信者といえるくらい、彼(というのもおこがましい)の映画が好きだもん。

音楽やスポーツだけでなく、プラス「旅」も当てはまるかも。旅での得難い体験は、その人の心の中に金貨が積もるような感じかな。