「ありがとう」だけでなく、「ごめんなさい」も言う。

″相手に対して感謝を伝えると、人生がうまくいく″的な、なにやら教訓めいたキャッチコピーや本をあちこちで見かけます。人生がうまくいこうがいくまいが、日常で何かをしてもらえば、礼を言うのは当たり前。それでも、この手のお説教が幅を利かせているのは、できない人が多いからでしょう。

長い付き合いの友人にすら「気を遣いすぎ」ともいわれる自分ですが、ぼくに言わせれば「気を遣わない人が多いだけ」なのですよ。かつて、中島梓さんが「コミュニケーション不全症候群」(筑摩書房)という著書で、表題の定義のひとつとして「他人のことが考えられない、つまり想像力の欠如」と言っていました。自分が一番かわいいのは誰だって同じ。問題は、意識的であれ無意識的であれ、「自分さえよければ」という人を、普通に見かけること。というか以前よりもまして横行していると感じるのは、自分だけではないはず。たしかに独善的で不寛容な時代になったなとは肌で感じます。

仕事で局面を打開したいとき、同じチームの仲間に無理なお願いごとをするとき。その原因が自分ではないにしても、謝ることは珍しくありません。「申し訳ありませんが」「すみませんね」などと、普通に言葉を足します。苦にならないんですよね。訴訟社会のアメリカじゃあるまいし、それで物事が前進するなら安いもの。そういう考えです。

飲みの席で、こないだ20代の子に真意を聞かれました。「hiroki(実際は名字ね)さんはなんでそこまで下手に出るんですか? hirokiさんは全然悪くないのに。相手を増長させるだけです」と。

んー、ぼくは「相手に気持ちよく仕事してもらいたい」、単純にそれだけなのですよ。まあ、SNS花盛りの「自分是」の時代、イケイケの子が理解するのは難しいかな。「持ちつ持たれつ」という概念から説明する必要があるかもね。ぼくに聞いてきたキミに反対に問いたい。「逆の立場になったら、ぴしゃりとカーテンを閉じられるのかい」と。ぼくにはそれはできないし、する気もない。別に自分がことさら聞き分けのいい人間だとは思わないけど、そんなに激しく自己主張する必要って何。まぁいろんなやつがいて成り立つのが組織ってもの。こういうやつがいたっていいじゃない。