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昔のウイスキーと今のウイスキー、その違いは結局のところ人の記憶だ。

新旧のウイスキー

ウイスキーで。かつてリリースされたものと現在出回っているものを比較されるオーソリティの話を聞くことがあります。そういう方の見識、経験に触れると「そうだったのですね」と想像し、傾聴します。おれも飲みたいなーと思いながら。

日ごろは近年流通のオフィシャルのウイスキーを飲むことがほとんどですから。むかしのことは想像するのみです。

ものすごく美味いウイスキーに出会った場合、その第一印象が強く残ります。シングルモルトウイスキーの場合、樽が違うだけで同じものは一つとしてないというのが魅力の一つ(昔も今も骨格は合っているのだけどニュアンスが違う、とでも言いましょうか)です。

ゆえに同じ銘柄のウイスキーでも、70年代に流通したものと2000年代に流通したものとでは、むかしを知る人にとっては「あれっ?」となり、なんか変わったなー、となる。良かった記憶は時間が経つごとに薄れるどころか、より美化されるのではとさえ思います。

僕が大好きなグレンファークラス25年も、最初にバーで飲んだときは本当に美味しく感じたけど、後々になってウイスキーフェスで飲んだときは、同じ25年でも「おやっ? あのときの感動がよみがえらない」と驚いたものです。

「昔は良かった」と回顧&懐古するのは老人の証、慰めであることに変わりはないけれど。しかししかし、この感じって多かれ少なかれ誰にでもあるのでは?と思うのです。

ウイスキーだけでなく、人生だってそう。あまりに辛い経験は封印してしまう。忘れたことにする。そして、良い記憶を積み重ねて生きていたいと思います。できることなら。

銀座 サテンドール

この記事を書いた人

hiroki「酒と共感の日々」

hiroki

Webの中の人|ウイスキー文化研究所(JWRC)認定ウイスキーエキスパート|SMWS会員|訪問したBAR国内外合わせて200軒超|会員制ドリンクアプリ「HIDEOUT CLUB」でBAR訪問記連載(2018年)|ひとり歩き|健全な酒活|ブログは不定期更新2,000記事超(2022年11月現在)|ストレングスファインダーTOP5:共感性・原点思考・慎重さ・調和性・公平性