「何を演じてもキムタク」みたいな人がいても、いいでしょ。

アラフィフともなると、小さいころから慣れ親しんだスターや俳優さんの訃報を耳にすることが多くなります。
そのたびに悲しく、思わずその経歴をネットで検索しちゃうんですよね。

こんにちは、hirokiです。
今日はスターの存在とスター性の話を少し。

幼いころのぼくにとって、テレビドラマや映画で躍動する俳優さんは、カッコよくて憧れであって、それでいて真実味があったんですよね。
なんというか、恥ずかしながらフィクションと現実の区別が付いていない子どもでした。
キャラクターとストーリーが、本物だと信じていたフシがある。

演技の上手・下手なんかどうでもよかったし、わかるわけがありません。
存在がすべて、なのです。

今でこそ、したり顔で「あの人の演技がどうこう」だの「ルックスだけじゃん」だのとネタにしがちですが。
幼いころに見た俳優さんほど、ドラマの細かなエピソードは覚えていなくても、後々まで記憶に残るものです。

名前を挙げてしまって申し訳ないですが、石原裕次郎、三船敏郎、高倉健、勝新太郎といった人は演技力で評価されたのでしょうか。
その面はあるかもしれませんが、すべてではないですよね。
人を引きつける、魅了するのは

生まれ持ったスター性

ゆえと思います。

ハリウッドであれば、(ちょっと古いですが)ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード、ハリソン・フォード、トム・クルーズなどキリがありません。

日本だろうと海外だろうと、現代において、こういう大物スターさんって極端に少なくなりましたね。
「親しみやすさ」「普通っぽさ」「わかりやすさ」が受けるいっぽう、クセのあるキャラクターを演じただけで話題になりますからね。
無理に性格俳優のポジを取ろうとしなくてもいいのになぁ、という人もいますし。
「実力派」「個性派」「豪華共演」みたいな宣伝文句も、当てはまっていない座組みが珍しくありません。

何が言いたいかというと、スターらしきスターの不在は物足りない、ということ。
東スポの記事を読んで、「別にいいじゃん」と思いましてね。

木村拓哉さんみたいな、誰もが知る「ザ・スター」はやっぱり存在したほうがいい。
どんな有名俳優でも共演した瞬間に、引き立て役になってしまうようなスター、いていいんじゃないですか。

まぁもっとも、主役を張るスターとしてのポジションを築けるのはごく一部ですから。
座りたくてもその椅子に座れない大半の人は、来た仕事を着実にこなしてチャレンジし続ける、打席に立ち続けるしかない。
誰も好きで個性派の看板掲げてねぇよと言われれば、申し訳ありません。

なんというか、スターはスターとして居続けているだけでいい。
超大作にだけ出ていてくれればいい。
眉間にシワを寄せて、難しい役なんか演らなくていい。

難しい時代だからこそ、単純に夢を見られる人、別世界の人って必要だと思うんですよね。

この記事を書いた人

hiroki

Webの中の人 / ウイスキー文化研究所(JWRC)認定ウイスキーエキスパート / SMWS会員 / 訪問したBAR国内外合わせて200軒超 / 会員制ドリンクアプリ「HIDEOUT CLUB」でBAR訪問記連載(2018年) / ひとり歩き / 健全な酒活 / ブログは原則毎日更新1,000記事超(2020年1月現在)/ ストレングスファインダーTOP5:共感性・原点思考・慎重さ・調和性・公平性