上岡龍太郎さんの訃報に接し、思い出したことがある。
正確には上岡さんは間接的なかかわりで、当時の取材先の担当者に指導された、というエピソードでしかないんだけど。この無知ゆえの若気を早い段階で矯正してもらったことは、今でも感謝している。
あれは1994年の社会人1年目。編プロで雑誌記者としてTBSに出入りすることになったぼくは、番宣(宣伝部、当時は番組宣伝部)担当者のAさん(男性、当時20代後半)と、局内の廊下を歩いていた。赤坂にビッグハットという新局舎ができる前の話だ。
記憶がおぼろげなのだが、そのとき確か上岡龍太郎さんとすれ違い(あるいは控え室に立ち寄ったか)、Aさんは「おはようございます!」とまず挨拶。それからふた言三言、上岡さんと言葉を交わしていた。Aさんは当時放送していた『上岡龍太郎がズバリ!』という番組を担当しており、よく知る間柄なのだろう。その間、ぼくは傍で会話が終わるのを黙って待っていた。
上岡さんと別れ、再び歩き出したAさんは、隣のぼくを見てひとこと「なんで上岡さんに挨拶しないんですか!」。
信じられないことに、ぼくは「え? だって上岡さんは知り合いではないですよ」と答えてしまったと記憶している。Aさんは呆れ返って「あのねUさん(←ぼくの苗字)、そういう問題じゃない。知っている人であろうとなかろうと、挨拶は基本。今後も多くのスタッフ、タレントさんに接するのだから、必ずしなきゃダメですよ」
目の覚める思いというか、自分の無知と礼儀知らずと偏狭さに、うなだれてしまった。こりゃいかんと即座に改めたのは言うまでもないことで。
決して説教するでもなく、でも毅然と指導してくれたAさんには今も感謝している。黙って応じていた上岡さんも内心では「なんだこの小僧は」と思っていたかもしれないな。
今振り返っても恥ずかしいことだが、あのときは上岡さんと目すら合わせられなかった。上岡さんには一方的に「怖い」印象を抱いており、間近でお会いしたというのに、早くこの場を立ち去りたかったんだな。曲がりなりにも記者として取材を行っているというのに。
その後、上岡さんには囲み取材だかで話を聞いたっけ。笑いを取りながらも、時折垣間見る鋭さになんとも言えない感情を抱いた記憶がある。
Aさんの話も残しておきたい。その後、優秀さを買われたのか、宣伝部から番組制作に異動した。Aさんが素晴らしいのは、ぼくのような新人記者にも他の記者やマスコミ関係者と同様にフラットに接してくれたこと。これはほんとうに尊敬すべきことで、ぼく自身が公平性を重んじるようになったことには、少なからずAさんの影響があるはずだ。
というわけで、社会人1年目の、なんということのない小話。上岡さんの番組の再放送を見る機会があるたび、上岡さんとAさんのことを思い出すのだろう。