スマホいじりは、さびしさを紛らわすための代償行為。

ニッチタイムにスマホをいじる、電車の中でスマホに見入る。スマホを持っている人なら誰にでも経験があることでしょう。

映像(動画)、写真(静止画)、テキスト(記事)、ゲーム、音楽、SNSなどなど。スマートフォンにはあらゆる道具が詰まっています。そりゃ誰しも夢中になるわけです。電車に乗れば皆が一様に下を向いています。周りの見知らぬ人に対し、誰もが我関せずを決め込んでいるかのように。

一方で。人は誰かと喋らずにいられない生きものなのだとも思います。

もう4年も前かな。体内のポリープを除去するため、1日だけ入院したときのこと。僕は1室6床の部屋で本を読んでいたのですが、隣のベッドの男性が巡回の看護師さんに話しかけていました。出身地はどこか、勤務交代は何時なんだという相手への質問から、自分の回復が思わしくないこと、身の上話に至るまで。

男性入院患者に、根気強く丁寧に応じる看護師の女性。カーテンを通して聞こえてくる会話に、ある種の悲哀を禁じ得ませんでした。

デパートの化粧品売場で美容部員と延々話す人、おなじみの定食屋さんで主人と世間話を交わす人。よく見かける光景も、この男性入院患者となんら変わりません。

みんな淋しいんですよね。

電車内など一人での移動時間では話せる人がいないから、スマホが代償行為になっているわけです。口を開けないさびしさ、心のさびしさを、指先の行為で埋めているんです。

かくいう自分もスマホなしの生活は考えづらい。貴重な一人時間を過ごすBARでも、なるだけスマホにタッチしないようにしています。が、時間を見たり、お酒の写真を撮ったりで、全然日常から離れられません。スマホがあることでBARですら孤独を極められないのは、なんだかなぁとも思います。

や、でも。一人の僕に対し、ありがたいことにバーマンから話しかけてくれます、大抵は。で、こっちは必然的に長っ尻、喋りすぎとなる。自分はハードボイルドの主人公にはなれそうもありません。