そういえばと思い出し。20代の労働時間、着るものといえば専らスーツでした。もちろんネクタイにワイシャツで。なぜか。理由は大きく3つ。
考えるのがめんどくさいから
当時の勤務先(編プロ)は服装自由。とはいえ先輩方はポロシャツや軽めのジャケットなど、襟の付いた服を着ている人が多かったんです。要するに「取材先に失礼にならない程度の軽装」とも言えたわけですが、ぼくは毎日ガチガチのスーツ。
今でいうスマートカジュアルですら、毎日着ていく服のコーディネートを考えるのがめんどくさかったんです。スーツが作業着、ユニフォームみたいなものだった。
相手ファーストの意味で、「スーツにネクタイ」は確かに間違いはない。けれども、思考停止に陥りますね。カジュアルな装いのほうがTPOに合う場面も普通にあるわけで。裏を返せば当時の自分はそれほどまでに余裕がなく、いっぱいいっぱいでした。
なめられたくなかったら
まだ学生気分の抜けないガキが、末端とはいえギョーカイに飛び込んで、そういう人たちと対等に振る舞わなくてはならない。先方は毛ほども思ってないのに、勝手に抱くプレッシャー。己の未熟を、見た目で少しでも補おうとする浅はかさ。今にしてみれば笑うしかありませんな。
ブランドものを着ることで気分が良かったから
これも笑っちゃう話、ジャケットの裏側に貼られたタグで勝手に満足してたわけよ。もちろんデザインで好みだったのは確かだけど、内心の優越感みたいなものがあったんです。当時着ていたのはタケオキクチ(80年代DCブランドの名残り)、ポール・スミス(いまだに好き)、ポール・スチュアート(敬愛する先輩を真似て。後にオースチン・リードに憧れる)あたり。
当時は「着回し」なんてことをいうファッション誌はなかったし、ジャケパンもだいぶ後の話。ちゃんとスーツを代わりばんこに着ていたわけです。会う相手に失礼にならないうえに、自己満足も得られたのですから。
外見というのはそれくらい大事だったんですよね。
結局、今なお外見を気にしている
ここまで書いてハタと気づきました。自分にとっては歳を取った今に至るまで「見た目」が大事なんだな、と。とにかく第一印象をおしゃれに見られたい。
今やすっかりスーツは遠い存在と化し、お気に入りのヴィヴィアン中心に。多少はおしゃれを楽しむ余裕もできましたが、だいたい上下のコーディネートや色合いは同じ。「これを着るときのパンツはこれ」のように判で押したような着方で、つまりは考え方に成長がない。
この辺りを自然に決められてこそ、おしゃれさんになれるのかもね。いや、本当の意味でのおしゃれとは、「ベーシックをきれいに着こなせてこそ」と知ったんだけど。その話はまた後日。
冒頭アイキャッチ写真は、東京国立博物館で開催された『150年後の国宝展』のBeamsの展示より。
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