「不撓不屈」という言葉を想起したことが今年ふたつあって。ひとつは『女王陛下のユリシーズ号』を読了したとき、もうひとつは袴田巖さん無罪確定のニュースです。
長年の収監に耐えに耐えた袴田さんその人はもちろん、一貫して弟の無実を信じ、支え続けた姉の秀子さんは、はかりしれない。
ましてやマスコミに好き勝手に書かれ、生活に悪影響を及ぼすとなれば、匙を投げたくなりそうなものなのに。
生活費を切り詰めて弟の面会や支援費用に充て、お酒を断ち、今では弟と暮らすためにマンションを建て、不動産経営までしているという胆力があるのですから。
しかし、ぼくが秀子さんに最も驚嘆したのは、検察が上訴権を放棄したことを受け「58年の苦労がすっ飛んだというか、喜びしかありません」とコメントしたこと。
いやいや、ちょっと待て。これまでもそうでしたが、警察や司直に対して、秀子さんは恨み言のひとつも言わない。
税務署勤務経験ゆえ、仮に彼女が公権力に対して達観や諦念があったとしても、それとこれとは別でしょうと思うわけです。
ある意味、水に流すがごとくの立ち居振る舞いに衝撃を覚えています。
自分が、あるいは身内が冤罪に遭ってしまったら、とてもじゃないけど同じようには振る舞えません。
どうしたらこうなれるだろう。いや、なろうとしても、なりたくとも、なれるもんじゃない。
なんというか、赦す・赦さないとか、家族思いとか、そういう感情を飛び越えた何かがあるような気がします。
ひとことでいえば「度量」となってしまうのだけど。
不撓不屈で己を鼓舞し、理不尽と闘い、度量で他人の言行を受け容れる。
袴田秀子という人の人間性の高みとでもいうのでしょうか。高潔さの前では文字も言葉も、どうしようもなく薄っぺらくなるのが嫌ですな。
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