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旧弘前偕行社:外から見ただけでも優雅さ実感

旧弘前偕行社

大日本陸軍「第8師団」といえば、新田次郎の小説『八甲田山死の彷徨』のモデルとなった八甲田雪中行軍遭難事件を想起しますが。
その第8師団の将校らの親睦・物販・厚生などを目的に、1907年(明治40年)に建造された弘前偕行社(ひろさきかいこうしゃ)の旧跡に立ち寄りました。
訪問したのは朝8時台ではまだ内部は開場されておらず(見学は9時~16時、税込300円/休館日:火曜日・8月13日・年末年始)。ですが、外から立派な威容を眺められました。

弘前藩9代藩主津軽寧親(やすちか)の別邸跡に建設された建物で、工事請負は青森県の洋風建築を多数手がけた棟梁・堀江佐吉(1849-1907)。その長男・彦三郎、六男・金蔵が棟梁として現場を仕切ったそう。ちなみに、太宰治の生家である旧津島家住宅(斜陽館)も佐吉の設計によるものです。

ルネサンス風の意匠を基調とした木造平屋建てで、東西48.8mの桁行きを有する建物は平等院鳳凰堂の洋風版のようなイメージ。
屋根構造はキングポストトラス構造、中央の正面玄関には切妻屋根の車寄せが配置されています。豪奢で典雅な造りは、軍の力を誇示するような意味合いもあったのか、現在になんだか皮肉に響きます。
戦後は弘前女子厚生学院が学舎として使い、現在は国重要文化財として同学院の記念施設などに保存活用されているそうです。

建物の真向かいには、太宰が官立弘前高校在学中の約3年下宿した『太宰治まなびの家(旧藤田家住宅)』が。
こちらも開館時間前で中には入れず。
次回の楽しみに取っておこう。

#2024年の青森県の旅(5)

旧弘前偕行社の庭側

旧弘前偕行社の建物

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