前日で蒸溜所見学は終了。メインランド島の街ストロムネスの史跡を見て回った後、空路でエディンバラに入りました。
昨日は蒸溜所見学の後に、リング・オブ・ブロッガーというストーンサークル、スタンディング・ストーンズ・オブ・ステネスを見に行きました。古代遺跡といえばその通りですが、要するに「石」です。
今日はブロホ・オブ・ガーネスへ。ケルト民族が建てた集落らしく、そのねらいや理由は不明。砦の要素を持った建築物です。何から何を守ろうとしたのでしょう? 7〜8世紀ごろに北欧スカンジナビアからヴァイキングがやってくる「凶兆」を嗅ぎとったのでしょうか。
その後スキャパフロウ湾のカーク水道へ。スキャパ湾は第一次・第二次大戦の英独が軍事戦略拠点とした場所です。第一次大戦後1919年にドイツ艦隊が自爆。その20年後の1939年、今度はドイツ軍が復讐する機会が訪れます。
このカーク水道にドイツのUボートが侵入し、英国の戦艦ロイヤルオーク号を魚雷1発で仕留めたのです。
英国軍兵士たちが訓練で疲れ果てて眠っている深夜、浅瀬を浮上航行して侵入する作戦。新月で辺り真っ暗のなか、沈没船の障害物がある幅11mの浅瀬を、幅9mの潜水艦がかろうじて通り抜けたわけです。沈没船にぶつかりそうになったところをオーロラが輝いて事故を回避したという、ウソみたいな本当の話もあるとか。
ドイツが放った魚雷2発のうち、1発が命中。英国側は多数の死者を出してしまいました。時の英国首相チャーチルの命で、以後絶対にUボートが入ってこられないよう、サウスロナルドセイ島とメインランド島を結ぶこの一帯を陸続きにして封鎖。これが「チャーチルバリヤー」です。
英国は今でも、この屈辱を忘れないよう、毎年英海軍提督がここに訪れて追悼式典を行っているそうです。ロイヤルオーク号とその遺品はあえて引き揚げず、海底に眠らせたままに。沈没船が多数あるスキャパ湾はダイバーに人気のスポットですが、この周辺だけはダイビング禁止らしいですね。
土屋守さんの解説があまりにも面白く、まとめとして再現できないのが力量不足ですが、帰国後にこの物語の関連書籍を探して読んでみます。
エディンバラでの話は次の更新で。