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【文庫版】『嫌われた監督』:人の理解を超越した深遠にあるもの

嫌われた監督

文庫版新章を加えた全527ページ、めくる手が止まらなくなり、最後は読み終えるのが惜しくなるノンフィクションでした。
こんなに面白く、夢中になるノンフィクションを寡聞にして知らない。
『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』(鈴木忠平著/文春文庫)は、ノンフィクションのジャンルにおいて個人的オールタイムベストに入るだろう傑作です。

『嫌われた監督』内容

2004年から2011年まで中日ドラゴンズで指揮した落合博満監督の采配と、各シーズンでカギを握った選手たちに迫るドキュメント。
野球戦術と選手とのコミュニケーション、選手だけでなくフロントやマスコミ取材陣をとまどわせる言動など監督・落合の真意をひもときながら、8シーズンの知られざるエピソードを明かしていく。
第23回ミズノスポーツライター賞最優秀賞、第53回大宅壮一ノンフィクション賞、第21回新潮ドキュメント賞、第44回講談社本田靖春ノンフィクション賞受賞。2022年のノンフィクション賞を総ナメにした話題作。
文庫版は全12章+エピローグ・あとがき・文庫化に際し書き下ろされた新章で構成。

なぜ手にしたのか? 読後感は?

新刊ハードカバーが出たときから気になっていて、文庫化に際して購入。

落合博満という人について言えば、個人的には現役時代にロッテから巨人移籍後、テレビの試合中継を通して見ていました。
NPB史上唯一3冠王を3回獲得した実力派で、長嶋茂雄監督に乞われた優勝請負人。当時は巨人びいきだったワシは、本来頼もしいハズの人に対して「なんかいけすかないおっさん」「ゴーマンで態度でかい」イメージだけが先行していました。
当時22歳のワシには到底理解できなかったんですよね、この人の本質が。

今なぜ、この本を手に取ったのかは、要するに「ずっと気になる存在だったから」でしょう。
マスコミのフィルタを通して見た落合博満像は完全に誤解であったことを、読後ようやく理解しました。

この本を読んで落合監督に感じたこと

本の中身が濃いので以下箇条書き。

  • 名選手であり名伯楽であり名監督である……こんな人は他にいない
  • 天才であり本物
  • 身体だけでなく頭も技術も冴えている
  • 野球の技術と論理的思考……技巧と頭脳を兼ね備えた稀有な人
  • 冷酷無比だが、それ一辺倒でもなく、ふと見せる人間味
  • 感情的になる側面もある

特に印象に残った、本の中の落合監督の言葉(ごく一部)

  • 「ホームランは力で打つもんじゃない。技術で運ぶもんだ」
  • 「一流ってのはな、シンプルなんだ」
  • 「打つことは良くても三割だ。でも、守りは十割を目指せる。勝つためにはいかに点をやらないかだ」
  • 「俺が本当に評価されるのは……俺が死んでからなんだろうな」
  • 「世の中の人たちが言うオレ流って、自分に言わせれば、堂々なる模倣なんだと思う」
  • 「物事には言えばわかる段階と、言ってもわからない段階があるんだ」
  • 「みんな突き詰めれば自分のために、家族のために野球をやってるんだ」
  • 「心は技術で補える。心が弱いのは、技術が足りないからだ」
  • 「俺は好き嫌いで選手を見ていない」
  • 「契約書通り。この世界はそういう世界だ」
  • 「俺と他の人間とじゃあ見ているところが違う。わかりっこねえよ」

まだまだあるけど。そのほか、2009年のWBC(ワールドベースボールクラシック)監督の座と選手供出を断ったことについてのくだりは、我が意を得たり。
このときのバッシングには、ヤンキース時代の松井秀喜がチームを優先してWBC出場を断った際のことも思い出されました。
ワシは国民的行事に参加を強制する日本人的ねじくれた根性論が大嫌いなので、落合のプロとしての一貫した姿勢には共感しかありません。

特に印象に残った章

すべてだけど、選ぶのであれば第1章・第2章・第5章・第12章・エピローグです。

非情といわれる采配の決断の裏、選手たちに求めるプロフェッショナリズム、野球戦術、人間心理とゲーム心理を冷酷に見定める目。これら落合監督の哲学が特に仄見える章です。それに応えた選手たちの葛藤も。

なかでも中日が日本一になった2007年の日本シリーズ第5戦は、記録には残らなくても記憶に刻まれる継投がありました。

読後感

完璧にして得体知れずーー理解を超えるものへの恐怖。

落合は誰に、何を、そしてなぜ嫌われたのかーー。8年のシーズンの足跡を追った最後に、本の入口に掲げられた問いの答えが明かされます。

ワシの感じたことは「非の打ち所がなく」「自分の考えを説明しない、わかってもらおうとしない」ゆえに「余計なことを話さない」から、それが憶測を呼び、得体が知れなくなり、結果嫌われる。
天才が考えることは、プロの選手にすら理解の範囲を超えているのですから、凡百の人にわかるはずがありません。

鈴木記者の人生変転記

本書は各章とも「グラウンドで起きたこと」「鈴木記者が監督や選手、フロントとの相対したときのこと」のふたつが、交互に構成されています。
オンとオフ、表と裏。采配や指導についての監督の真意、それに応じた選手の心の変容が答え合わせのようになっている構成は臨場感を持って読み手に迫ります。

主役たる落合監督だけでは到底実像に迫りきれなかったことでしょう。監督とその周辺にまんべんなく肉薄した鈴木忠平さん(当時は日刊スポーツの番記者)も素晴らしい。

並み居る先輩記者やデスク陣の後塵を拝していた鈴木記者も、ある意味で落合によって人生を変えられたひとりです。選手たちとフィールドは違えど……。

朝が苦痛で、上司の伝書鳩だったフツーの記者が次第に自らひとりで取材に立ち上がり、落合から言葉を引き出していく過程はスリリングでもある。

落合は「俺はひとりで来る奴には喋るよ」と言って、鈴木記者に応えます。鈴木記者だからこそ肉声を再現し、引いては落合の実像を形にできたと言ったら言いすぎでしょうか。

まとめ

読後なお余韻長いドキュメントです。

野球は国民に比較的浸透していることもあり、特にミドルのサラリーマンのマネジメントにも通ずるようです。

ただし、落合博満という人は、あまり表立って取り上げられていない印象があります。

現にビジネス書でおなじみPHP研究所が、名監督として語られ続ける野村克也さん関連の書籍を6冊出しているのに対し、落合博満を題材にした書籍はゼロ。

ノムさんを好んでも、落合のことは取り上げない。この差やいかに。なぜなら落合はあまりにも情がなく、冷たすぎるからではないでしょうか。
そして正論は、正しいことを言うことは、嫌われるーー。

それも誤解でしかないのですが。本書『嫌われた監督』を機に、落合さん関連の書籍が増えるかもしれません。
でも正直、たとえ商売であっても版元には(本書の文庫化もそうだけど)あまりビジネスパーソン向けを標榜して売ってほしくない。そんな表層的に語られるもんじゃないですよ、落合博満という人の本質は。

それにしても、この恐ろしくも、愛すべき人の現役時代を少しでも見られて、間に合ってよかった。
全然ファンでもなんでもなかったのに、今では和歌山県にある落合博満野球記念館に行ってみたくなっています。

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hiroki「酒と共感の日々」

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