『没後50年 河井寛次郎展』に行ってきました(~2018年9月16日、パナソニック汐留ミュージアム)。規模はさほどでもありませんが、民藝好きにはぜひお勧めしたい展覧会です。
展覧会は京都の旧宅である河井寛次郎記念館から持ってきた作品が大半ですが、中には京都国立博物館や個人蔵のものも。陶芸から木彫、言葉(書画)、調度品、さらには河井本人がコレクションした品々や資料まで約130点を見ることができます。陶芸や愛らしい木彫がズラッとガラスケースや壁面に展示されています。
陶芸の灰皿、箸置きなど、たまりませんね。触ってみたいですが(無理)。それらの陶芸もさることながら、椅子や腰掛け、竹製の棚、にグッとくるものがありました。下の写真は河井寛次郎記念館の客間の囲炉裏です。
こんなところで、魚でも焼き焼きしながら一杯……なんて想像するだけでたまりませんね(結局そこか)。まぁとにかく、日常の中にこそ美があるという「民藝(民衆的工芸)」の理念に共感するし、職人の手による民藝品に囲まれ、実際に使う生活(=用の美)が理想なのです。
寛次郎さんは晩年に詩句集を発表するほど、詩を多く残していたんですね。「新しい自分が見たいのだ 仕事する」「何といふ今だ 今こそ永遠」などなど。「助からないと思っても 助かって居る」という言葉は、将棋の大山康晴十五世名人が座右の銘にしていたそう。展示室にはこれらの書画や陶板が約15点ほど展示されていて、井浦新さんによる朗読ナレーションがずっと流れています。
それにしても。寛次郎さんがアタマにくるほど素晴らしいのは、陶芸はもとより絵画も、書も描けるうえに、目利きであるということ。多芸多才なんてもんじゃないんですよね。民藝作家は特にこういう人が多くて、河井の盟友・濱田庄司、バーナード・リーチ、棟方志功、芹沢銈介といった人みんなそう。
鑑賞するだけでなく、用いる。名もなき作家たちの工芸に価値を見い出す(あまり「無名の」という表現を使いたくないけど)。用いるほどに経年変化していくけど、魅力は色褪せない。そういう民藝の普遍性に感じ入ります。
モンダイは民藝品が現代においては高額になる一方であること。民藝を使うこと自体がぜいたくになってしまっていて、僕のような人間には手も足も出ません。むー、頑張って「民藝貯金」するか。
そうそう、展示を観終わったら同館のB1にも足を運んでくださいね。寛次郎さんの「ろくろ場の再現展示」があります。絵はがきをもらえますよ。