BARに伺うとたびたび目にする、とても好きで、また羨ましくもなる光景があります。
かつてその店に勤めていた人が、今度はお客さんとしてカウンター席でくつろいで飲んでいるときです。
マスターとその人の薫陶を受けた師弟関係だったり、単純に仕事仲間だったり、バイトで手伝っていたりなど経歴はさまざま。
そこには周囲には見えない、ある種の不可侵な一線が画されているいっぽうで、分け隔てなさも同居しているように見えます。
不思議と調和も取れているし、居心地もよさそう。
なぜ羨ましく見えるかって、それはワシ自身が帰ることできる古巣がないから。
古巣はあるけど帰ることはもちろん、たまに顔を出そうとも考えない。
人間関係に嫌気が差して自ら組織を辞めたのだから、未練なんかあるはずもない。
古巣になんの感情もないわけです。
たまに近況を話し合ったり、特に意味になく顔を出したりできる古巣は、ワシにとっては別世界なんですよね。
そういう光景を目の当たりにして羨望を感じる自分は、否、どこかに古巣に未練や懐かしさを感じているのかもしれない。
この矛盾、割り切れなさ。
ドライになりきれない自分がなんだかちょっぴり可笑しい。
友達いないんだから考える必要もないのにね。