ただ歩くだけの映画とみくびるなかれ。
フランシス・ローレンス監督の『ロングウォーク』(2025年アメリカ / The Long Walk)は、過酷なデスレースを描く作品ですが、観客は彼ら参加者の同伴者のごとくゴールを見届けることに。
ネタバレなしで振り返ります。
『ロングウォーク』あらすじ
戦争が分断を引き起こし労働が忌避されるアメリカでは、国威発揚のイベントとして「ロングウォーク」という競技が国策として開催されていた。
競技の勝者は多額の賞金と願いをひとつ叶える権利を獲得できるが、それを手にできるのは志願者50人の若者のたったひとり。
競技のルールは「時速4.8キロをキープすること」「速度を下回ると警告開始」「警告3回で射殺」「最後の1人になるまで歩き続けること」という4つ。
参加者たちは装甲車と兵士たちに囲まれ、常に銃を向けられながら、休息も睡眠も許されない極限状態のなかを必死に歩き続ける。
「蹴落とす」でも「裏切る」でもなく
鬼才スティーブン・キングが大学在学中の1960年代に執筆し、79年にリチャード・バックマン名義(ほか『痩せゆく男』と、あとなんだっけ?)で書き上げた長編『死のロングウォーク』の初映画化です。
これはね、静かなる『バトル・ロワイアル』(2000)です。
あれは武器を若者に持たせて追い詰められたときの人間の本性を表した作品で、公開当初は物議を醸しましたが。
本作『ロングウォーク』の若者たち(オール男子)は、生死を賭した闘いに挑む覚悟ができている。
いわば自分以外のすべてがライバル。
にもかかわらず、彼らはときに肩を組んで歩き、歌いながら歩き、歩けなくなった者がいれば助け起こして射殺の間一髪から救う。
ありがちな、罠に嵌めてどうたら的な策謀や裏切りはほとんどない。
そこにはあるのは連帯です。
物語が進むにつれ、この近未来世界が文化や娯楽を禁ずる全体主義国家に成れ果てていることがわかり、彼らの醸す一致団結が不思議でなくなります。
カリスマ性を持って士気を高める伝説的な少佐(ふてぶてしいマーク・ハミル!)の姿に、最初こそ「本物だ!」とテンションを上げた参加者も、やがて軍人たちに対して憎しみを爆発させる台詞のうねり。
そうやって互いを奮い立たせながらも、何十何百ものマイルを踏破していくうち、次々に力尽きていく。
ある者は下痢に悩まされ(トイレにも行けない=歩きながら済ませる)、ある者は脱走を試み、いずれロングウォークの物語を出版すると息巻く者は片足がよじれる。
いずれもすべて警告3つを受けた後に頭を撃ち抜かれます。R15ゆえ描写に手加減なしです。
荒廃した米国の田舎町の道路。舗装はされているもののロードサイドは寂れている。
見物禁止というおふれにもかかわらず、ところどころに参加者をジメッと睨め付ける人たちが。
クライマックス、いよいよ残り7人となってから「ここからは助け合いはなしだ」と示し合わせてからが、第二の波。
詳しくはネタバレになるので書きませんが、描かれるのは、仲間外れとなった人間の脆さ、形見をどう託すのか、死に際の尊厳とは、そして人生の後悔。
なかでも「優勝者は脱落した参加者のひとり=#46の婚約者に、賞金を分けよう」と提案する#23の場面には驚かされました(登場人物に名はあるが、兵士からは警告の際に#=番号で呼ばれます)。
主語が大きくて恐縮ですが、日本人ってこういう発想にならなくないですか。慈善や寄付の文化が根づいていないので。
それ以上にアメリカの良心、すてきな側面を、究極の修羅場で描く演出に打たれました。
かなりキツい終末映画ですが、個別に名場面が連発で、あの結末もいろんな解釈ができます。
あぁ、言いたい。とにかくぜひ配信等で観てください。
淡々と歩くことのつまらなさを逆手に取った恐るべきドラマツルギー。
本年のベスト5に入りそうな私的傑作でした。
2026年8月4日14時10分 新宿バルト9 シアター1
