作業モードの仕事に取り掛かると、イヤホンをして音楽か落語、講演を聴き流すことが多いです。聴くものといえば、耳になじんだものが大半。最近、現役の噺家に交じって、YouTubeなんぞで昭和の名人をちょいちょい聴いてます。
YouTubeや試聴などで聴いてみて、好きになる、気に入る、なじんでくると、自分でも怖いなと思うことがあります。
コンピレーションアルバムやら全集やらを、必ず買ってしまうんですよね。
これはもうアーティストに対する礼儀というか、楽しませてくれたこと、新しい世界を教えてくれたことに対する感謝ですね。「ぜひお金を払わせてください」となるんです。
亡くなった噺家の中でも素晴らしい、自分の共感覚とフィットすると思ったのは、定番中の定番でしょうけど、三代目古今亭志ん朝さんです。
まさに今の時代を先駆けていたのでは?というくらいのテンポの良さ、へたな俳優やアナウンサーはかなわないだろう活舌のすばらしさ、全くつっかえない(つっかえたと思ったら演技)聴きやすさ、よく通る声質。
志ん朝さんといえば、餓鬼の時分に見た「錦松梅」のCMのイメージしかなかったのですが。生で聴いていたら、凄いことになっていただろうな。
若いころには分からなかった、理解できなかったものが、ようやく今になって分かるというもの、けっこうありません?
それが相応に年を取った証というか、多少は大人になったということなのでしょう。もっと早く知っていればと振り返りたくなるときもありますが、そこは「知らずに死ぬことなくてよかった」と切り替えて。
「この人と同時代に生きていて良かった」と思うことってありますよね。今まさに自分が好きな人を追いかけつつ、好きな人やものの昔をたどってみる、ルーツをさかのぼってみる。これで十分です。
さて、志ん朝さんの全集か。うーーむ、欲しい。どうなることやら……?