自分のブログで物騒なタイトルは付けたくないのですが。新型コロナウイルス(新型肺炎)が、自分の愛する酒場界隈に影響が出ていることもあり、情勢を無視できなくなりました。ここ1か月くらいほど、「普段通りの日常のありがたさ」を痛感したときはありませんね。特に街中を歩いたとき「往来に人の姿がある」だけで、ホッとします。
サン・テグジュペリの『星の王子さま』に、「いちばんたいせつなことは、目に見えない」という有名な一節がありますが。「目に見えない」=情愛とか、郷愁とか、そういう観念以前に、目に見える「当たり前」がなくなることの怖さです。
いつも会っている人と会えない、通っている店がやってない、仕事場や遊び場に行けない。報道に固唾を飲み、世間のムードや自分のマインドは落ち、制約された中で息を潜めるように過ごさなければならない。
戦争を知らない世代の人間ですが、今の状況は戦時下ともいえるいっぽうで、その性質は明らかに異なります。敵は国家や武器を携えた人間などではなく、全く未知のものです。人と人との殺し合いのような、ある意味わかりやすい図式で当てはまらない。正体不明で、しかも目に見えない。感染したら死ぬかもしれない。だから怖いのです。
個人的には、終息に向かう=かなり希望的観測のグッドシナリオと思います。旧型コロナであるインフルエンザでさえも終息せず、共存が続いている状態なのですから。よくもまあ、打ち勝つなんて言葉を軽々と使えるもんだと呆れます。勝敗じゃないんですよ。うまく順応・適応する方法も手探りで見つけていくしかないかもしれません。
ひとつ言えることは、これを機に「世の中が大きく変わる」ことです。
2006年に福岡で起きた飲酒運転事故以来、酒酔い運転が激減したように(福岡ではぶり返しているようですが)、社会問題化した事象は、世界を、世の中を劇的に変容させます。移動が制限されて物流や通信が発達するとか、自宅で栽培できる食物種苗が開発されるとか、人が大勢集まるホールでは飛沫を完全遮断するマスク着用が義務づけられるとか。良い変化と悪い変化、どちらも妄想してしまいます。
最大限ストレスや窮屈さを軽減した進化になろうとも、国家間の政治やイデオロギーに寄らずとも、完全なる自由を得るのはもはや難しい時代が来たのかもしれません。まぁ、そんなことをボヤきながら、今日も酒でクダを巻くだけなのですが。