今「コルホーズの玉ネギ畑」というTHE STALIN(ザ・スターリン)の曲を聴きながら、これを書いてます。パンクバンド、ザ・スターリンの遠藤ミチロウさんが亡くなってしまいました。過激なライブパフォーマンスと破壊的な詞の数々にのめり込んだ身としては、この報せは信じたくない思いでいっぱいです。
【遠藤ミチロウオフィスより】
遠藤ミチロウは、昨年より膵臓癌を患い闘病を続けてまいりましたが、2019年4月25日に都内の病院にて永眠いたしました。
葬儀は本人の意向により近親者のみで執り行いました。後日、音楽葬を行う予定です。
生前のご厚誼を深謝し、謹んでご報告申し上げます。
— エンドウ ミチロウ (@michiro60) April 30, 2019
敬愛するクリエイター、アーティスト(という括り方も嫌なんだけど。その人の名前がそのままジャンルを形成し、個性であり、芸術性なんです)は唯一無二の人ばかりですが、遠藤さんも紛れもなくその一人。
町田町蔵(町田康さん)率いるINUの「メシ喰うな!」のパロディ曲「メシ喰わせろ」、詞が3語で終わる「天プラ」、共産党宣言を下敷きにした「先天性労働者」……。挙げていったらキリがありませんね。
初期(1980年~1985年)のザ・スターリンを高校時代の友人から知り、そこからパンクというジャンルをなぞっていったんですね。ぼくにとってパンクの入口は、セックス・ピストルズでもラモーンズでもなく、だからザ・スターリンなんです。
そこから派生していろいろ調べ、PiL(パブリック・イメージ・リミテッド)、Bauhaus(バウハウス)、Joy Division(ジョイ・ディビジョン)などを聴いていました。
こうして音楽の趣味の昔を振り返ると、怒りをぶつける、反旗を翻し、体制にツバ吐くというような表の無軌道ぶりではなく、内面に入っていくような世界観に魅了されていったんだなぁと思うんです。それは多少、自分の人格形成に影響を及ぼしたのかもしれません。
ザ・スターリンはとかくマスコミを騒がせるような過激なパフォーマンスが語られがちですが、それらは演出の一側面にすぎないんじゃないか。のちの遠藤さんがギター1本でアコースティックソロに向かっていったように、どちらかというと内面をえぐるような音楽がザ・スターリンの根底にあった。だから目が離せなかったんじゃないか。
欲望や怒り、ときに人間の正視にたえない本質をつかんで、聴き手に投げつけていた。遠藤さんの詞には、そんな情念を感じるのです。