毎朝の散歩など、ご近所を「ちょっとそこまで」歩いたくらいでも、自転車で疾走するUberEATS(ウーバーイーツ)配達員の姿を当たり前に見かけるようになりました。
昨今の情勢で需要が急増しているそうですが、個人的にはウーバーイーツを通してフードを頼もうという気にはなりません。
この心理的抵抗感は、なんでしょうね。
考えてみたのですが、理由は下記の2点です。
出前で持参してもらう必要がない
自宅から、レストランやテイクアウト実施店まで、徒歩で行けるところがけっこうあります。
ゆえに、出前可のお店の店員さんやウーバーの配達員さんの手を煩わすことなく、「それくらい、テメーで行きますよ」となるわけです。
いっとき、セブンイレブンの宅配(御用聞き)サービスが話題になったことがありましたよね。
あれも仰天しました。
そんなことで忙しいコンビニ店員のリソースを無駄遣いするんじゃないよ、客! ってね。
「それが店側の新たな付加価値で、売上になってんだからいいだろ?」って?
田舎に住んでる人が言えることだ、それは。
都市部に住んでるヤツらには、「徒歩圏にコンビニがあるんなら、足を運べよ」と言いたいですよ。
とにかく。
店に足を運ぶくらい億劫がるな、少しは歩けや。
そう思うのです。
ウーバーイーツのシステムそのものへの疑問
配達員が、クライアントにキャンセルされたつけ麺を投げ捨てたという事件のインパクトが大きかったのですよ、個人的には。
ウーバー側の「配達員と依頼者をマッチングさせるプラットフォームを提供しているだけで、配達員が起こしたトラブルには関与しない」という当初の弁明は、ちょっと理解できませんでした。
自社で雇っているわけではないから、関係ないという理屈は確かに正論です。
けれども、プラットフォームだからこその責任はないの?
一般企業で取引先・協力先が引き起こしたミスを、「ウチがやったことじゃないから関係ない」ってステークホルダーに言えるか?
言えねーんだっつの。
こういう小賢しい責任回避する企業が提供するサービスなど使いたくない。
根本に不信感があるのですな。
民泊とかカーシェアリングとか、いわゆるシェアリングエコノミーの発想自体は否定しませんが、だからといって自分が使うかは別次元で「なんか違う」のです。
ましてや、氏素性・背景のわからない(知る術がない)ものを使いたくないんですよね。
民泊なら部屋の貸主、借主の「人となり」がよくわからない。
カーシェアなら「どんな人が利用したのか」の履歴がよくわからない。
クラウドワーキングも頼んでみて、「実際に成果を提出する・してもらう」までよくわからない。
まぁ、こんな感じです。
すみませんね、古いタイプの人間なので。
ま、どんなに言われようと、古い人間ならではのサガで、「なにか変だ、おかしい」と思う、自分が共感できないサービスは利用しません。
あしからず。