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「テレビメディア」への複雑極まる思い。

金柑ジントニック

テレビの番組コンテンツの情報誌編集を仕事にしている。新卒で入ったのは大手版元のテレビ誌(とっくの昔に休刊)を作る編集プロダクションで、当時まだ雑誌も余力を残していた時代。新卒で入り込んでいった取材先(=民放キー局やNHK)は、それはそれは異次元の世界だった。

現在携わっている媒体は地上波メーンではないが、この記事を読んで久しぶりに20代のときに出入りしていたテレビ局のことを思い出した。

中川淳一郎さん(ぜひお会いしたい方の一人)はテレビ側からネタ元としてアプローチされる側だが、僕はアプローチする側。窓口となる番組宣伝部署(バンセン)や編成、制作といった局員にいろいろとネタを聞きに行き、形にするのが仕事だった。

当時の僕は絵に描いたような生意気なガキで、(たまたま仕事のおかげで)テレビ局に出入りしているというだけでギョーカイの真ん中にいるかのような錯覚と快感を覚えたものだ。何しろ名刺を持って席を訪ねれば、名だたる制作者や報道マン、キャスターたちが話を聞かせてくれる(もちろん口のかたい人もいる)。アポなしでも少し時間があるよと、お茶やごはんに連れてってくれる人もいた。毎日根気よく通ってもテレビマンはつかまらないのが普通(それでもプロデューサーは捕捉できたほう)で空振りも多かったけど、足しげく通ってつかまえた末に思わぬ話を聞き出せたときは、興奮して帰社し、ワープロのキーをたたいたものだ。

ありがたいことに、礼儀もろくに弁えないこんな小僧に悠然と接してくれた人が、テレビの現場には多数いた。何度もしつこく情報を聞きに行き、揚げ句無理なことばかりお願いして、ずいぶん怒られもしたけど。できた掲載誌を手渡しして見てもらい、「面白い切り方するねぇ」と褒められると、お世辞であっても誇らしかった。認められたような気がした。

時間が経つにつれ、雑誌の部数や広告の枚数が徐々に下降。そうなると他誌と明らかに違う、エッジの立った路線でならした誌面も徐々に変化し、大勢に受けるような特集が組まれていく。やがて休刊、そして発行体裁を隔週から月刊に変えてリニュアル創刊。取り上げるジャンルも映画に特化したり、若い女性をターゲットにしたりしていた。それらは一時的な特効薬にはなれど、媒体としての特色がぼやけていく流れは変わらない。

このころからだろうか。以前にも増して取材先窓口であるテレビ局の番宣から、こちらの特集企画に注文がつき、そればかりか「この企画では協力できない」と断られることが目立つようになった。せめて作り手のいる現場に通してから返事してほしいと思うが、「これじゃあダメ」と番宣担当者レベルで突き返される。理由を聞いても当を得ない返答。窮余の策でやむなく現場のプロデューサーに突撃交渉し、コメントをもらったこともあった。

もう15年も前の話だけど、あるドラマプロデューサーが”連ドラがつまらない”と言われる理由について、「制作サイドとテレビ誌が手を組んで押し付けてきた画一的なドラマの見方、というものを今一度考え直した方がいいのでは」と流行情報誌で話していて仰天したことがある。画一的な見方とは、連ドラのスタート時の「人物相関図」であり、ワンクール終盤に組まれる「最終回はこうなる」類の特集のことだ。テレビ誌を一度でも開いたことのある方ならお分かりだろう。

そういう「画一的な見方」をリードしているのは、他でもないあなたの身内の人なのだ。ちょっと考えれば分かること。たぶん分かったうえで、連ドラ低迷要因のひとつをテレビ誌にしているのだろう。テレビ誌は週刊誌と違い、コンテンツの悪口を書かない。少なくとも作り手の尊厳を損なうような真似はしない。だからなおさら、このプロデューサーの発言には呆れてしまった。なめられたものだ、この悔しさを忘れまいと記事の切り抜きを今も大事にとってある。あはは。

もちろん媒体にも責任はある。言われるがまま抗うことなく、考えることなく易きに流れて、そうさせてきたのは他でもない媒体自身だ。もちろんそれにかかわっている僕も。

テレビに限らず大手のオールドメディアには、そういう横柄というか、傲慢というか、何様なところがずいぶんある。それに気づいていない、気づいたとしても柳に風を決め込むから「マスゴミ」などといわれてしまうのだ。けれども僕はマスコミに育ててもらった身。だからオールドメディアに対して、尋常でない愛憎半ばする思いがある。

中川淳一郎さんはテレビ局の特権階級体質を見事に看破されている。残念ながら「マスゴミ」と呼ぶようなマスコミ嫌いの大衆のほうが、よほど風を読めている。吹いている風に気づかない(気づかないふうを装う)、自分たちが無知な大衆を啓蒙しているという上から目線。これらが続くかぎり、テレビメディアが「一億総白痴化」のレッテルを拭い去ることはないだろう。

これが自分の携わる仕事が関係なかったら、僕はいったいどう思っているのだろう。全くいろいろと矛盾している。自分に腹立たしい。

この記事を書いた人

hiroki「酒と共感の日々」

hiroki

Webの中の人|ウイスキー文化研究所(JWRC)認定ウイスキーエキスパート|SMWS会員|訪問したBAR国内外合わせて200軒超|会員制ドリンクアプリ「HIDEOUT CLUB」でBAR訪問記連載(2018年)|ひとり歩き|健全な酒活|ブログは不定期更新2,000記事超(2022年11月現在)|ストレングスファインダーTOP5:共感性・原点思考・慎重さ・調和性・公平性