4Kでリバイバル上映中のSFアニメーション映画『AKIRA アキラ』(1988年/大友克洋監督)を観てきました。
正直『AKIRA』という作品の存在は知っていましたが、この映画版はもとより、コミックも読んだことがなかったんですよね。
要するに今さらながら、初めて内容に触れたってわけです。
hirokiです、こんにちは。
もはや語り、論じ尽くされているであろう映画『AKIRA アキラ』の世界。
この記事では、それらの論評をいっさい検索して読むことなく、自分なりの視点で振り返り、解読してみます。
「あらすじ」等の詳細も割愛します。
『AKIRA』は、叶うことのない友情の物語
暴走族のメンバーで主人公(でいいんだよね?)・金田と、その幼なじみの鉄雄の2人。
強大化する自らの力に全能感を覚える鉄雄と、ケリをつけられるのは俺だと彼を追いかける金田。
金田は他意も悪気もなく、鉄雄に「友達として向き合っている」が、実は鉄雄はそんな金田をとことん疎んじていた。
が、自分の力を抑えられず、肥大化していく自らを抑えられないと知った鉄雄は、悲しいかな金田に助けを求めてしまう。
金田もそれに応えようとするが……。
『AKIRA』は、才能に殺される人間の物語
鉄雄のエネルギーは、政府や軍はおろか、自分自身でさえもコントロールできないものだった。
今も昔も、自分の才能を瞬間的に発揮できても、埋もれてしまう人はたくさんいます。
薬物に溺れたアスリートやタレント、激しい自我に苛まれ自死した小説家、舌禍や自らの行いで身を滅ぼす政治家などなど。
鉄雄を見ていると、そんな人たちの悲しい末路を思い起こすものがあります。
『AKIRA』は、やがて進化するAIを予見した物語
自らの力を爆発させる鉄雄は、紛れもなく人間が生んだもの(悲しい生い立ちが描かれてたよね)。
でも、その才能は誰が備えたものか?
物語で大佐が呟いたように、神の領域に触れることを人間が創り出した結果、「AKIRA」の世界で描かれた東京そして世界は、崩壊へと突き進みます。
映画で出てくる東京は、テクノロジーが進化し、建物は高層ビルだらけ、
ですが、足元の人間たちは荒廃し、人々はあまり幸せそうに見えません。
さて、映画と変わらない2020年を生きている我々は、どうでしょうか。
『AKIRA』は、後の映画作家に多大な影響を及ぼした物語
金田がバイクで疾駆する冒頭のシーンから、全編にわたって描かれる「NEO東京」。
その世界は一目見て、押井守、リドリー・スコット、庵野秀明といった映画作家の作風に影響を与えているのは言うまでもありません。
否定されたら申し訳ないですが、あまりにも既視感があるのですよ。
「大友オマージュ」をする作家や作品を追いかけてみると、ツリーが出来上がるくらいになるのでは。
まるで鉄雄の右手のように。
——というわけで、簡単に振り返ってみました。
「見方が浅い」「ズレてる」「わかってない」等々の意見はあるかと思いますが、そっとしておいてください、ははは。
正直、観終わった後いろいろ知りたくなってプログラムを買おうとしたり、検索したりしようかなと思ったのですが……やめました。
この衝撃を、新鮮なうちに早く覚え書きにしておきたくて、あえて他の論評を見ずに、感覚を叩き込んでおこう、と。
そう思ったから。
この映画を知ってるあなたと、いつか話せたらいいな。