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花總まりさんについて思うこと。再演『レディ・ベス』2度目の観劇で。

帝劇「レディ・ベス」2017年再演

帝国劇場で上演中の『レディ・ベス』、11月12日(日)マチネの会を観ました。
初見は演出の改変に納得いきませんでしたが、あっさり白旗の前言撤回。
本当に本当に、今回は素晴らしかったです。
けれども今日は花總まりというスターについて、ほんの少しだけ触れたい。

タカラジェンヌ時代の花總さんを、DVDやCSスカイステージといった映像でしか観ていないぼくが言うのはおこがましいこと、この上ないですが。
自分のブログなんで言っちゃいます。

宝塚歌劇団退団後、長らく裏方としてミュージカルスターを支えていた花總さん。
ヒロインとしての今の花總さんを見ていると、時代が彼女を表舞台に呼び戻したとしか思えません。

『ドラキュラ』(2011年)でリアルに初めて彼女の舞台を観て、世界初演の『レディ・ベス』(2014年)、そして満を持しての『エリザベート』(2015年、2016年)タイトルロール。
主演ではありませんが『1789-バスティーユの恋人たち-』(2016年)ではマリー・アントワネット役もバッチリでした。

それらを観てつくづく思ったのは、「お姫様がこれほどハマる人は他にいない」ということ。

女王とか王妃とか、普通はありえない気位も地位も高い役は誰もができるものでない。
なぜならどんなに演技力がある人でも、歌唱力のある人でも、持って生まれた雰囲気、オーラを備えているわけでないから。
ましてや磨けばなんとかなるものでない、残念ながら。

花總まりという人は、元来の育ちの良さが役どころに説得力を持たせている好例だと思う。
歌唱力の側面だけで言えば、彼女より上手な人はたくさんいるでしょう。

でもね。
確かに庶民だって姫を演じようと思えば演じられるでしょうけど、雰囲気といったものは誰もが作れるわけではない。

もう一つ、花總まりを語る要素として、「憑依」が挙げられますよね。
本物が役に乗り移るというか、降りてくる感覚。毎回瞳に涙を湛えながら演じる彼女から、そう感じるときが多々あります。

今日、観劇して感動したのは、ひとえに演者のチカラだと思います。
あれほど理解に苦しんだ2幕クライマックスのシーンを受け入れられたのは、2度目の鑑賞ゆえの免疫もあるでしょうけど。
全体的に手探り感が払拭され、ステージ上の役者が確信を持って演じているのが伝わってきました。

そして、その中心に花總まりというヒロインがいる。良くも悪くも花總さんの憑依の度合に、周りが巻き込まれてしまう=芝居の出来を左右するのでしょう。
今日はそこが半端なかった。

花總さんは、今後も主演舞台の予定が発表されています。
「舞台に上がるために生まれてきた人」が、今後どんな顔を見せ、どのように変化していくのか楽しみでなりません。

帝劇「レディ・ベス」花總まり

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hiroki「酒と共感の日々」

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