2ヶ月ほど前の話ですが、行きつけのBARのマスターと飲みました。
マスターのお店は休業中、もちろんBAR界隈は営業時間短縮か、自粛かといった時期です。
なので、「ちょっと行きませんか?」とお誘いして実現しました。
で、共通の知り合いが店長を務める店で落ち合い、そのままチマチマと飲む感じ。
マスターの奥さんもご一緒に、閉店近くまで2時間弱かな。
プライベートでご一緒するのは初めてで、カジュアルなカッコのマスターと合うのは変な気分。
特別な会話をするでもなく、近況を報告しあって、あとは静かに飲んで食べて。
ふだんカウンター越しではベラベラ喋るくせに、こちら側に隣同士で座ると、なんだか照れくさい。
幸か不幸か、今のご時世でなければ実現しなかったでしょうね。
励ましたい人がたくさんいるんですけど、そういう時間を作れても「励ます場が営っていない」皮肉。
や、励ますなんて言い方もおこがましい。
単に無沙汰が寂しい、もっと言うと「おれが励まされたいだけ」なんだよな、たぶん。
店がやってないし、だからといって花見ばりにアウトドアで……ってのも、どうにも違和感。
飲食店を十把一絡げにするのは、どうにもおかしい話なんですよ。
どうしたらいいんだろう。
おかしな話ばかりで、なんだか疲れます。
楽しみを奪われる側を比較すべくもないですが、提供するプロの経済や心労は如何ばかりか。
ルールを作る側に回らなければ、結局どうあがいても無意味。
できることといえば、これにNOを突きつけることくらいだけど、「怒りを忘れ過ぎ」な人が多いんじゃないか。
最近感情を抑えすぎな自分への戒めを込めて。
愛すべき外山恒一さんのツイートでも貼っておくか。
補償しなくても自粛してくれるFラン人民なんぞナメられて当然である。人の命なんぞより自らの地位や利権が大事な奴らに“云うこと聞かせる”には、こっちも死ぬ気・殺す気になって、「頼むから、カネを出すから家でじっとしててくれ」と奴らが懇願し始めるまで街に繰り出し続けるべきなのだ。
— 外山恒一 (@toyamakoichi) April 1, 2020
自らの地位や利権だけが大事で人の命なんぞ何とも思ってない連中に、“いい子ちゃん”でいたまま勝てるわけがない。犠牲を厭わず死ぬ気・殺す気で街に繰り出し続け、「せめて麻生あたりが罹患するまで感染拡大させてやる!」ぐらい開き直らないと、“民衆の力”とやらを奴らに思い知らせることはできない。
— 外山恒一 (@toyamakoichi) April 1, 2020