「いじめ」という言葉の浅い考察。

最近やたら独り歩きしている「いじめ」という言葉への違和感と、それに義憤に駆られる人にひとこと言わせてもらう。

世の著名人などメディアに出てくる人に言ってほしくないし、聞かされたくもない言葉のひとつが「オレはワルだった」って類いのもの。
これをマスコミで喋ってる人って、他にウリも自信もないから虚勢を張るしかないんだろうね。
自分の実力を知っているから、大きく見せているつもりなんだろうけど逆効果。
かえって器が小さく見えるからやめたほうがいいのに。

もひとつイヤなのが「オレ(私)はいじめられていました」のような告白。
「立ち向かう勇気を持て」よりも「全力で逃げろ」的な主張が最近は目立ちますが、どれも刺さらないのはなぜ?
オレはいじめられたけど、今はそれなりに成功した、だからおまえも大丈夫。
……とは決して言ってないけど、真に迫ってこない。
メッセージに力がない。

あと、聞いていてイヤだなと思うのが、人がされたことに対して「これってイジメだよね」と指摘するやつ。
たとえば理不尽な説教をするとか、無理無体を振られるとか、深刻な「イジメ」と言わないまでも何らかの嫌がらせを受けた人に対してかける言葉です。
まぁ義憤に駆られる気持ちはわからんでもないですが、された当人がイジメと思っていなければ、それはイジメではないのです。
ことさらイジメであると「気づかせる」必要って何?

もし、近しい存在でそういう仕打ちを受けた人を目の当たりにしたら、「あれは良くない」(=あなたを攻撃した人の言動はアカン、の意)と肩を叩けばいい。
「ないわー、よく耐えたよね」と声をかけるだけで、やられたほうは「あ、味方になってくれる人がいるんだ」と多少溜飲が下がるものです。
別に”加害者”を批判しなくていいし、かといって必要以上に”被害者”に寄り添う必要もない。
ただ、「酷い目に遭ったね」と自分が見苦しく感じたことを伝えればいいだけ。

世間には「自分とどうしても合わない人間」が、ひと握りくらい間違いなく存在します。
だから多少の気に食わない出来事に遭遇しても、受け流す。
いなしておけばいいんです。
かかわらないようにするのが一番ですが、難しければ自分から「離れる、環境を変える」しかありません。

不思議なもので「あぁ、キツイなぁ」と追い込まれた瞬間から道は開けるんですよ、これホントに。
それは自分が決断を下すことかもしれないし、異動やクラス替えなどで(運良く)自動的に環境が変わることかもしれない。
そういうとき、流れが自然に変わるのです。
人生、あまり追い込まれたくないけどね。

この記事を書いた人

hiroki

Webの中の人 / ウイスキー文化研究所(JWRC)認定ウイスキーエキスパート / SMWS会員 / 訪問したBAR国内外合わせて200軒超 / 会員制ドリンクアプリ「HIDEOUT CLUB」でBAR訪問記連載(2018年) / ひとり歩き / 健全な酒活 / ブログは原則毎日更新1,000記事超(2020年1月現在)/ ストレングスファインダーTOP5:共感性・原点思考・慎重さ・調和性・公平性