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ファンである自分を客観視する余裕。

ちょっとボカした言い方になってしまうのだけど。
相手が誰であれ、自分がファンになる対象はもちろん大好きなんだけど、その取り巻きがイヤだなってなるとき、ありません?

同族嫌悪とも異なり、好きなものや人に対して熱狂的すぎて、周りが見えていない人たち。
そのスターを個人的には注目しているのに、取り巻きが宗教的すぎて、今ひとつ追う気になれない。
傍から見て引いてしまう対象のことですね。

もう絶賛で翼賛、やることなすことすべて「是!」みたいなファンね。
リアルであれば実態を否応なく垣間見るし、ネットならばコメント欄やリツイートや「いいね」等をしているアカウントで丸わかり。

個人的には
「大半は(あるいは、ある部分では)大好きだけど、この点が気に入らない」
くらいでちょうどいいのでは、と思います。
冷静さがほしい。

ほら、好きなアーティストでも「この曲は好きだけど、あの曲は嫌い」とか、好きな俳優なら「映画のあの役はハマったけど、今の連ドラでやってる役は似合わない」とか。
そういう個々が抱く違和感や嫌悪感って、好き嫌いかかわらずあるはずです。

具体例を出して申し訳ないけど、たとえばジャニーズ、宝塚、劇団四季のようなパイが大きいエンターテインメントのほど、クレイジー(=熱狂的)なファンが目立たなくなる。
なぜならクレイジーなファンは、クレイジーさで競っている側面があり、それが傍から見ても「フツー」であるほど定着すれば、日常に溶け込むからです。

これが間口(愛好家シェア率)が狭いと、やたら悪目立ちしてしまう。
自分や、自分の友達・身内以外はどうでもいい(敵意すら存在しない)から、自分さえ楽しめれば良いというファンが増長する。
「夢中になっている自分」を客観視やメタ認知できず、他者をよそ者扱いし、見下し、席を占拠する。
これらが横行した結果、裾野を広げる機会を奪う。
仮に自分が主宰であれば、そういうファンは御免被ります。

あ、これ上記エンタメに限った話でなく、あらゆるオタクやクラスタが発生する界隈すべてがそうですよ。
ぼくが興味を持っている、楽しんでる分野がこの手の病に侵されていて、ウンザリ気味であるのです。

ぼくは、自分が好きなものであれば、いつまでもファンでいたい。
だからもしも才能があってあちら側(プロ)には行けたとしても、行きたくない。
行った瞬間、求道者と化してしまい、遊ぶことができなくなりますからね。
こうやってブログで感じるまま、酔っぱらったまま書けるのは、自分がこちら側(アマ)の人間だから。
気楽にやるのがいちばんですわ。

この記事を書いた人

hiroki「酒と共感の日々」

hiroki

Webの中の人|ウイスキー文化研究所(JWRC)認定ウイスキーエキスパート|SMWS会員|訪問したBAR国内外合わせて200軒超|会員制ドリンクアプリ「HIDEOUT CLUB」でBAR訪問記連載(2018年)|ひとり歩き|健全な酒活|ブログは不定期更新2,000記事超(2022年11月現在)|ストレングスファインダーTOP5:共感性・原点思考・慎重さ・調和性・公平性