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「万博」を撤退できるか否かが、日本の延命治療の分水嶺となる。

2025年の大阪万博で複数の国が参加表明を覆したとのことで、いよいよ中止の機運が高まってきました。
分かりきっていたことで、往生際の悪さだけが目立っています。

なんというか、「夢よもう一度」から抜け出せないんだな。
それはいいんだけど、万博のような箱モノでというならば話は別。
時代が変わっている、世代交代は進んでいるのに。

断言しますが、推進派は全部ロートルですな。
実年齢が若いか若くないかは問題でない。
その発想をする時点で脳みそがシーラカンスなので、救いようがない。
揚げ句、足りない分は国費でとか、冗談言っちゃいけない。
そんなにやりたきゃ、やりたい人が勝手にカネを出し合ってやってください。

万博みたいな「から騒ぎ」をゴリ押しする一方で、国立科学博物館はクラファンを実施せざるを得ず、国立劇場は建て替えの入札が不調、藝大は予算削減でピアノすら撤去。
儲からなければ無意味って、そんなんだから衰退するんだよ。
国力ってなにもGDPだけを表すものじゃない。文化だって指標のひとつだぜ。

本当に要るものを自ら軽視、廃棄し、目先の利益に欲がくらんで要らんものに狂喜する。
東京五輪が「終わりの始まり」であれば、この万博は「衰退を決定的なものにした」象徴的な出来事として語り草になるんじゃないかな。

撤退すれば、衰退の速度は多少は下がる。
どうあれ日本という国の衰退が避けられないのは悲しいところですが、撤退を選択できるのではあれば、まだ救いがあります。
多少は延命治療をし甲斐があるという意味で。

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hiroki「酒と共感の日々」

hiroki

Webの中の人|ウイスキー文化研究所(JWRC)認定ウイスキーエキスパート|SMWS会員|訪問したBAR国内外合わせて200軒超|会員制ドリンクアプリ「HIDEOUT CLUB」でBAR訪問記連載(2018年)|ひとり歩き|健全な酒活|ブログは不定期更新2,000記事超(2022年11月現在)|ストレングスファインダーTOP5:共感性・原点思考・慎重さ・調和性・公平性