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きれいごとで怒りは治まらない。

ここんとこ、1年くらいかな。自分が怒りっぽくなっている気がしています。
怒りの内容は、よく言われる「感情的になるな」の興奮とも、自分の正義からくる義憤とも異なる。
男の更年期なのかなぁ。癇癪(かんしゃく)を起こすんですよ。

といっても、周囲の人を巻き込んだり、物に当たったりするのではなく、ひとりで怒ってブツブツ言う類のやつです。
傘を持たずに予期せぬ雨に降られたとき、道路の段差につんのめったとき、朝の通勤時間帯に電車が遅延したとき、無軌道なチャリンコ乗りや酔っぱらいを見かけたとき、唐突に過去の屈辱がよみがえったとき。
そらもう、いろいろ。

後になって振り返ると、「そんなことでデコに血管を浮かすな」ってことばかりで、可笑しくなることがほとんど。
大人になると年を取ると丸くなるというけど、年を取って許容できる面もあれば、若い時分になんとも感じなかったことが今は許容できなくなった面もある。

アンガーマネジメントというけれど

以前、入っていたオンラインセミナーで「アンガーマネジメント」なる言葉を聞きましてね。
たとえば「怒りを感じた後の6秒間をやり過ごす」とか「怒りを記録する」とか、そういうやつ。
どちらもやってみました。
前者に至ってはむしろストレスがたまるし、後者は今も日記でやっていますが呪詛が消えることはないですわ、怒りの度合いが強いほど。
なんかもう、きれいごとっぽいのよ、ぼくにとっては(個人の感想ね)。

これはもう、修行僧のようなマインドになるしかないんだよなと諦観。
昔のように感情に任せる言動はなくなりましたが、どこかで「怒りを忘れちゃいかんな」と自戒してもいるのです。

癇癪に対応するには

ないね、そんな方法は。
もっともらしいことを書こうとしたけど、無理なもんは無理。
せめて、瞬間的に違うことを考えて、思考を切り替えて……ってくらいなものでしょうか。

無理して感情を抑え込もうとしたり、無理して前向きに思考しようとしたりして、かえって窮屈になってない?
そういう風潮をひしひし感じますね。
むしろ感情をどう解き放つかにフォーカスしようよ。
他人を巻き込むのではなく、自分の中でさ。
その正解は人それぞれだろうけど、すっきりする方法がひとつでもあればOK。

でも、こうはなりたくないね。なんかもう哀れ↓

この記事を書いた人

hiroki「酒と共感の日々」

hiroki

Webの中の人|ウイスキー文化研究所(JWRC)認定ウイスキーエキスパート|SMWS会員|訪問したBAR国内外合わせて200軒超|会員制ドリンクアプリ「HIDEOUT CLUB」でBAR訪問記連載(2018年)|ひとり歩き|健全な酒活|ブログは不定期更新2,000記事超(2022年11月現在)|ストレングスファインダーTOP5:共感性・原点思考・慎重さ・調和性・公平性