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ブルシットジョブは被害者意識で嗤ってやり過ごせ。

「物事をやさしく説明する」ことについて、それを求めてくる相手方のマインドに立って考えてみたいのですが。
結論、わかろう・理解しようとする人に対しては可能です。が、それとは真逆に、わかろう・理解しようとしない人に「やさしく・わかりやすく」説明しようったって無駄である、とつくづく。

かつて、古今亭志ん朝さんは高座のまくらで「落語は弱い芸。客席から歩み寄ってもらわないと成り立たない」ということを話されていました。
これって落語に限った話ではない本質で。
聞く気がない、そもそも興味がない人に対して、こちら側が手を尽くしても意味がないのです。
それでもやらなきゃならない。これが「報告のための報告」、換言すればブルシットジョブってやつで。
生産性とわめいている自分が最も生産性を下げていることに、死んでも気づかんのだろうなあ。

そう、自分のブログでも、検索して来てくれた新たな人に対して、できるだけ読みやすくと考えているのだけど……考えるだけで終わってますな。
絵や漫画が描けるわけでもなし、動画が撮れるほどイケメンでもなし、音声を流せるほどイケボでもなし。

ある人は「おまえの興味あることとか、おまえの主張とか、そんなものはどうでもいい。皆が読みたいものを書け」と言う。
はーい、わかりました。と、うそぶきつつ、ここでは好きなように書かせてもらいますよ。自分の城なのでね。
ただし何度が言ってるけど、来てくれた人には何らかの「クスッ」「ニヤッ」とするものを持ち帰ってもらえるよう書いているつもりだし、また受け手のあなたがそう受け取ってくれることを願うばかりです。

噺家は受けずに高座を下りてくると、自分の実力不足に奮起を誓うのではなく、「今日の客は馬鹿」「客に蹴られた」などと言う。落語のまくらでよく聴くことです。
これまた本質だよな、と。
噺家が言うと毒づきつつも、見事な被害者仕草になるからフシギ。

垢抜けない被害者仕草は、「被害者意識」ではなく「被害者ヅラ」になると革命家・外山恒一さんも言ってたっけ。
どうせなら洗練された被害者意識でありたいものです。

この記事を書いた人

hiroki「酒と共感の日々」

hiroki

Webの中の人|ウイスキー文化研究所(JWRC)認定ウイスキーエキスパート|SMWS会員|訪問したBAR国内外合わせて200軒超|会員制ドリンクアプリ「HIDEOUT CLUB」でBAR訪問記連載(2018年)|ひとり歩き|健全な酒活|ブログは不定期更新2,000記事超(2022年11月現在)|ストレングスファインダーTOP5:共感性・原点思考・慎重さ・調和性・公平性