ミスとか失敗とか、あまり心持ちのいい言葉ではないですよね。コトの大小にかかわらず、できれば起きてほしくないし、自分で言いたくないし、誰からも聞きたくない。でも、それらから学び取ることは大きい。
医師であるヒロインが「失敗しませんから」というセリフを放つ連ドラがヒットしたそうです。どういう人物設定にしているか知りませんが、そんな完璧な人はフィクションだから成立するのです。よしんば実際に存在していても「はぁ、すごいですね」で終わり。凡人である自分は何も学べません。
誰も好んで失敗したいと思う人はいないでしょう。でも、いざ自分が失敗した、ミスったとき。それを口に出してたり、思念に縛られてしまうと、心が塩垂れてしまいます。起きたこと(=自分の選択で引き起こしたこと)を受け止め、悪影響を最小限に食い止めるように行動し、処置後に再発防止策を練る。
これらについては、本も多数出ていて、マニュアル化している企業も多数ありますから、わざわざ声を大にして言うことではありません。個人的には若い人に対し、
「ミスは仕方ない。むしろミスしないと(ミスしないための最適なやり方を)覚えない。だから気を落とすな」
と、こっそり伝えていたものです。
ミスの前例とかヒヤリハットを机上で学んだり共有したりしても、だいたいにおいて当事者以外は対岸の火事で、「そんなことがあったのか、自分も気を付けよう」で終わりなんです。極端な例や社会的に影響が大きかった例は、テレビ番組『しくじり先生』(テレビ朝日系)や、畑村洋太郎先生の『失敗学のすすめ』(講談社文庫)などが話題になったように、関心も高く、学べるものは確かにあります。
が、ほんとうに自分の実となるものは、身をもっての体験にかぎります。本の知識から学ぶことはあっても、それ以上はない。自分のこととしてとらえるには、自分が道を通るしかないのです。道を通った当人にだけ、頭でっかちでない実がなるのです。
これは別に仕事に限った話でない。家事でも、趣味でも、恋愛でも、人生における大小あらゆる選択肢でも起きます。ミスというか、選択肢の誤りは誰にでも起こりうること。それを頭ごなしに失敗と否定するのは、どうなんでしょう。
失敗やミス。これらはすべて、挑戦の結果でもあります。それで得ないことなんてない。「いい経験」とか「いい勉強」と前向きに変換して、日々を過ごしていきたいと、しみじみ思うのです。