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太宰治『津軽』:ラストの名文は誠意の表れか

太宰治『津軽』(角川文庫)

1944年(昭和19年)、小山書店から『新風土記叢書』の執筆依頼を受けた太宰治が、5月12日から6月5日までの津軽旅行を経て書き上げた『津軽』(太宰治著/角川文庫)。
青森県北津軽郡金木村(現五所川原市金木町)に生まれ育った太宰が、郷土愛をときに熱く、ときに内省的に綴りつつ、郷里でかかわった友人や兄たちとの懐かしい再会を述懐します。

なぜ読んだのか? 内容は?

9月半ばの連休を使って青森を旅行するにあたり、行程の柱を「斜陽館」訪問としていたからです。
また、幾多の太宰作品の中でも『津軽』は初読で、新鮮な気持ちでひもとくことができました。

本作は序編と本編に分かれています。序編では太宰と青森の関係性や青森の各地域に対する評論、思い出の断片が。桜の名所として知られる弘前を激賞し、弘前城を「津軽人の魂の拠りどころ」とまで言います。
青森論・津軽論もさることながら、中学3年のときに吹き出物に悩まされて「いっそ死んでやったらと思うことさえあった」との記述には、自殺願望は根っからのものだったのかと半ば呆れました。

本編では「巡礼」「蟹田」「外ヶ浜」「津軽平野」「西海岸」の章立てに分かれ、かつて津島家(太宰の生家)で鶏舎の世話をしていたT君、中学時代のN君ら友人や、兄や兄嫁、そのお婿さんなどから接待を受けつつ、幼いころ、10代のころに慣れ親しんだ場所を再訪する様子が記されています。

もうね、太宰は飲んでばっかり。のべつ酒の心配しかしていない。しかも酒をありったけせしめて飲んだり、水筒の中に入れて持ち歩いたりと、飲み方が汚ないw
ともすれば中毒の行動パターンやんけってなくらい。でもそこがいい。

読後感は?

旅のクライマックスにして、最大の目的は「自分の母と思っている」ほど心に残っている乳母、越野たけとの再会。
太宰はたけの住む小泊を訪ね、ついに再会を果たします。
そのやり取りが胸に迫るのは、当人たちだけでありません。読者だってそうだよね。

旧友たちや親戚の子どもと、てらいなく会話を交わす太宰。でも読んでいると、「あぁ、この人のことは人として好きになるけど、生半な仲で付き合うと疲れるだろうな」と感じさせずにいられない。
太宰は「人たらし」なんですよね。時代も分野も全く異なりますが、中村勘三郎にまつわるエピソードを想起しました。

物語の罠と結末の名文

初読ゆえ予備知識もなく取りかかったのですが、この『津軽』は「小説の可能性がある」と聞いて仰天しました。
てっきり紀行文、随筆のつもりで読んでいたので。

言われてみれば確かに、交わす言葉や行程を振り返るにあたり、再現の度合い、ディテールが書き込まれすぎの感があります。
しかも、太宰はしょっちゅう飲んでいるにもかかわらずw
乳母たけとの会話も創作説がある=「太宰はたけと実際に再会していない」説があるのも納得です。
物語として、できすぎなんですよね。

ひととおり旅を振り返ってのラスト、最後の段落で強引ともいえる転調を決めますが、これがまたグッとくる。以下引用。

私は虚飾を行わなかった。読者をだましはしなかった。さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬。

これを名文と言わずして何をもって名文ですか。本作で津軽でのノスタルジーを経て読むと胸に迫るものがあります。

ただね。小説家がフツー「私は虚飾を行わなかった。読者をだましはしなかった」とか言う? 言わないよね、わざわざ。太宰の内面はおそらく虚栄心に満ちているし、読者をだましてもいるんですよ。
こんなことをわざわざラストで言うのは、太宰なりの逆説的な誠意の表れなのかもしれません。めんどくせー。でもそこがいい。

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hiroki「酒と共感の日々」

hiroki

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