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【ユニークな展示会】青森県は缶詰の名産地でもあった

『缶詰王国あおもり~缶詰の歴史と食文化』

缶詰、好きなんですよね。サバ缶の材料をまるっと放り込んでつくる味噌汁とか、酒のお供にオイルサーディンを突くとか、これだけで十分よ。
その、サバ缶の出荷量が日本一である青森県の県立図書館で開催された『缶詰王国あおもり~缶詰の歴史と食文化』(2024年7月11日~同年10月23日)は、缶詰好きなら目からウロコな展示イベントでした。

青森産の缶詰の歴史をたどる

青森県はもともと豊富な農林水産資源を背景に缶詰業がさかんで、特に青森市は「缶詰王国」「缶詰の町」と呼ばれたほど。
フロアには明治から昭和まで、複製した地元産の缶詰のラベルがショーケースに納められています。

1877(明治10)年に北海道・石狩にあった開拓使の缶詰工場で、サケ缶が製造されたのが最初。
青森県内では明治20年代には地場産の缶詰が製造・販売されていたそうで、当初はホヤなどが主流だったとか。
1904(明治37)年の日露戦争では軍事食糧として下北産のマグロの缶詰が陸軍に納入され、。日露戦争後は、捕鯨の普及によりクジラの缶詰の製造も盛んになったそう。

大正時代に入ると、陸奥湾内で獲れたイワシの缶詰業が始まり、青森市内にも業者が波及。
サケ・マスの缶詰の製造が活況を呈し、冷蔵船の登場で鮮魚が青森港に運び込まれるようになったことで、それらを原料にした缶詰業も。
青森製の缶詰は手詰めで見栄えよく、安価。その評判は海を越え、最盛期の1933(昭和8)年には輸出量が21万缶に達したそうですから驚きです。

青森特有のユニークな缶詰カルチャーに瞠目

展示で最も発見があったのは、青森県の津軽地方の家庭には「マイ缶詰」の食文化が根付いていること。
食物の保存や贈答のため自家用の缶詰を作るそうで、各自で採集した山菜や農作物をオリジナル缶(=マイ缶詰)にして保存し、親族や知人に配るのですよ。

「マイ缶詰」は、下処理を済ませた素材を「委託加工所」と呼ばれる町工場に持ち込みます。缶代と加工賃のみで、1個から専用の器械と設備で立派な缶詰に仕上げてくれるとか。
最盛期の1980年代には、ひとつの工場で年間3万缶もの依頼があったそうですが、飽食の現代は徐々に減りつつあるようです。
盆や正月に贈り贈られた缶詰を食するというのですから、その思い入れと習わしの深さは計り知れません。

まとめ

青森旅行中に見かけた宣伝ポスターで面白そうな展覧会イベントが開かれていると知り、市街地から少し離れた青森県立図書館に車を飛ばしました。
入場無料で展示自体はこじんまりしていたけど、一等面白かった。

青森県は人材育成も熱心で、八戸水産高校が創立以来100年以上にわたり業界を支える人材を輩出しており、実習で製造される缶詰は文化祭で販売されて好評を得ているとか。
名久井農業高校は青果物の缶詰の商品化を目指して試作中ということで、風習というのはなくなりませんね。

今度は缶詰の産地も気にしてみることにしました。

#2024年の青森県の旅(17)

この記事を書いた人

hiroki「酒と共感の日々」

hiroki

Webの中の人|ウイスキー文化研究所(JWRC)認定ウイスキーエキスパート|SMWS会員|訪問したBAR国内外合わせて200軒超|会員制ドリンクアプリ「HIDEOUT CLUB」でBAR訪問記連載(2018年)|ひとり歩き|健全な酒活|ブログは不定期更新2,000記事超(2022年11月現在)|ストレングスファインダーTOP5:共感性・原点思考・慎重さ・調和性・公平性