言葉を使うごとに言葉が消滅していく。そんな制約のある世界で小説はどれほどの表現ができるのか。
1989年4月発表の『残像に口紅を』(筒井康隆/中公文庫)は、奇抜かつ作者自身を苦しめるであろう挑発的な小説です。
挑発的とは作者自身だけでなく、読者や文章を書くすべての人に対して。
書き手が自ら表現する手段を削いでいく物語は、最初こそMッ気満々で可笑しみもあったのですが、読み進むうちに痛々しさがわいてきたのもまた事実です。
『残像に口紅を』あらすじ
ひとつの言葉が消滅したとき、その言語が示していたものも世界から消える――。
友人の評論家・津田得治の提案で、そんな虚構世界を舞台に小説を書くことになった小説家・佐治勝夫。「か」がなくなれば「漢字」「鏡」「ぴかぴか」「フォーカス」といった言語がなくなっていく。
編集者との会合・飲食の場、教え子との情交、講演などを経て、勝夫は消えていく人・物・場所に困惑と虚しさを隠せなくなっていく。
言葉を引いて音(おん)が残らなくなった虚構世界が迎える最後とは。
なぜ手にしたのか? 読後感は?
知人のバーデンダーから、「言葉を扱う仕事のhirokiさんなら」とおすすめされたのがきっかけ。
筒井康隆といえば、時かけ=『時をかける少女』『富豪刑事』あたりの映像化された小説と、雑誌『噂の真相』連載コラム『笑犬樓よりの眺望』くらいしか読んでおらず。
読後感はといえばSFというよりもアバンギャルドを感じたのと、自らを追い込むような物語の着想の凄みです。
「言葉がなくなったら」なんて想像するだけで恐ろしい。
一方で言葉はなくなっても人間の五感は生き続けるわけで、言葉のみに頼らぬ世界、それこそレヴィ・ストロースではないが、未開社会の「野生の思考」で現存する世界もある。
言葉は表現の手段として未来にも生き残り続けるのは間違いないだろうけど、ワシも含め言葉を伝達に使う市井の人間が「言語なき世界」に突然置かれた場合、意思疎通はどうなるのだろう?
本作とは無関係にそんなパラレルワールドを想像してしまいました。