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福沢一郎展で垣間見た、普遍的なブラックユーモア。

2019年 東京国立近代美術館「福沢一郎展」

東京国立近代美術館で開催中の『福沢一郎展 このどうしようもない世界を笑い飛ばせ』(~2019年5月26日)を観に行ってきました。

福沢一郎さんへの知識は正直全くと言っていいほどありませんでした。「戦前にフランスのシュルレアリスムを日本に紹介し、前衛美術運動を率いた人」だそうですが、本展はその知られざる画家としての側面に光を当てるというもの。展示はひじょうに面白かったのですが、やや疲労感に襲われた鑑賞後でした。

ダリにせよベーコンにせよ、シュルレアリスムの画家は好きな人を何人か思い浮かべることができるのですが、絵画展を見終えたその日の就寝後は、たいてい悪夢にうなされるんですよね。それくらい画が特徴的で、それどころか狂気じみたものまでも感じます。

この福沢一郎さんの作品は画風のインパクトもさることながら、どちらかといえば作品の着想でしょうか。

人嫌いの人間をばかにした絵『人間嫌い』とか、エロイことを考えているインテリをディスった『教授たち 会議で他のことを考えている』とか、辛辣すぎて勘弁してくれよと思うほど(会議や打ち合わせで集中力が途切れること、誰でもあるんじゃない?)。

福沢はその作風で、戦中には瀧口修造とともに治安維持法違反の疑いで特高に検挙され、半年間も拘留させられています。おそらくは相当に厳しい尋問を受けたはずです。

展覧会は画家の若いころから晩年までを時系列でたどっていて、作風の変遷が読み取りやすい構成なのですが。福沢さんという人は、晩年まで社会問題を鋭く射抜く通念が根底にある気がします。

1970年代以降は、ダンテ『神曲』とか源信『往生要集』をモチーフに、古今東西の地獄絵を描いています(『衆生地獄』という作品にぼくは釘付けになりました)。

そこに描かれているのは、トイレットペーパーを持ち去る人であり、浪費家と吝嗇家であり、建前と本音を使い分ける政治家であり。いにしえの地獄絵をもとにしていても、全然隠喩になっておらず、むしろ直截に人間の所業が浮き彫りになってしまう。

見方によってはブラックユーモアのオンパレード。歴史は繰り返すというか、人間の本質はいかに歴史が長かろうとそう変わらない。絵を通してそんなふうに冷徹に見据えていたんじゃないかと、福沢一郎という人の知性、頭の中を想像した展覧会でした。

「福沢一郎展 このどうしようもない世界を笑い飛ばせ」

この記事を書いた人

hiroki「酒と共感の日々」

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