黒澤明監督の『乱』が大好きな映画でして、これを観たうえで『リア王』(1604‐06、ウィリアム・シェイクスピア、新潮文庫、KING LEAR)を読むとストーリーが入ってきやすいはずです。
悲劇を極めたストーリーや台詞の格調高さは黙り込むしかありません。や、むしろだからこそ音読すべきですが。
老王リアは自らの退位で政治・領土など権力の一切を3人の娘に分配しようと、自分への忠義のあつさを述べさせ、最も感じ入ったものに最大の相続を行うと宣言する。
ゴネリルとリーガンの姉ふたりは甘言を弄して父の歓心を得るが、誠実な末娘コーディーリアの飾らない言葉にリアは激怒。
コーディーリアを勘当し姉ふたりに財産を譲ったリアだが、その瞬間ゴネリルとリーガンは態度を豹変させる。
訳者・福田恆存さんによる「解題」だけでも読む価値ありで、福田さんは本作のテーマを「親子の不和」「虚飾の放棄」「人間世界を分裂させる神々の意図」と定義します。
人間関係や自我さらには哲学的なテーマまで踏み込まれた作品であり、それが計算づくの創作なのか、はたまた結果論なのか。
いずれにしても磨き込みが尋常でなく、現在まで上演される古典名作中の名作であることは、一読実感できます。
「生れ落ちるや、誰も大声挙げて泣叫ぶ、阿呆ばかりの大きな舞台に突出されたのが悲しゅうてな」
「必要を言うな、如何に賤しい乞食でも、その取るに足らぬ持物の中には、何か余計な物を持っている」
こうしたリアのセリフは当然ふるっているのですが、個人的にはグロスター伯爵の息子エドガーが吐露するひとことにも感嘆しました。曰く、
「誰に言えるというのか、『俺も今がどん底だ』などと?(中略)どん底などというものではない、自分から『今がどん底だ』と言っていられる間は」
ワシも含め、つい悪いことが起こると「サイテー」「サイアク」などと易々と口にしてしまいがちですが、これを言っていられるうちは全然ですわな。
ぼやきが出るだけまだ余裕があるわけで。
セリフも舞台も格式と原始があるシェイクスピアにおいて、今なお色褪せない魅力。
それは人間の浅薄さ、愚かさという普遍が物語になっているからでもあるんだろうな。
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