小説の体裁をとっていながら、現実のように感じられる物語ってありますよね。私小説とか、実在の人物をモデルにしているとか。昭和初期の俳人、西東三鬼の著した『神戸・続神戸』(新潮文庫)も私小説を読んでいるかのように、登場人物の行動を間近で見ている錯覚に襲われます。
『神戸』の舞台は第二次大戦下の神戸、トアロードにあるホテル。米軍による空襲がいつきてもおかしくない切迫した情勢のなか、ここに止宿する「私」とホテルに出入りする男女との不思議な交流が、全10話からなる短編で描かれます。『続神戸』は戦後の「私」が書いた続編です。
この国際ホテルに出入りする外国人、日本人が実に魅力的なんですよね。のべつ嘘をついてばかりのエジプト人マジット・エルバ氏、「私」の同棲相手・波子、生真面目な台湾人青年・基隆、生活のために春を売ることが常態化しているバーのマダムたち、などなど。
登場人物のほとんどが神戸空襲以降、哀しい末路をたどるのですが、どのストーリーも有り体の悲劇で終わらない。男女・国籍を問わず、間違いなく心通わせる交流があり、「私」の視線はどこまでも優しい。「私」がインテリでモテ男なのが分かりますけれども、ハートが丈夫でないところに妙な共感を覚えます。東京での生活に嫌気が差し、神戸に逃げてきたという背景をはじめ、すぐいろいろなものから逃げ出したくなる弱さ。
それでいて人間観察力が抜群なんですね。他人のことをほっとけない、こんなはずじゃなかったのに付き合ったり、面倒を見たりしちゃう。「私」の周りはいい奴、いい女ばかりでなく、生き馬の目を抜くコスモポリタンもぞろぞろと出てきます。
そういう人も含めて、それでもなお嫌な気持ちにならない。なぜだろうと考えたのですが、なるほどそれは周辺人物と共通する信仰(この場合、価値観という言い方のほうがしっくりくる)があったから。その信仰とは……物語と巻末の森見登美彦さんの解説を読んでください。もしも自分が「私」と同じような体験をしたなら、ほんとうにこの出会いはあったのかと、まるで幻を見たかのような気分になるでしょう。そんな読後感です。ちなみにぼくは第七話の「自動車旅行」がお気に入り。
これ読んで、久しぶり(約2年ぶりかな?)神戸に行きたくなってしまい、9月に宿を取ってしまいました。ついでに大阪、京都も訪ねてみようと思います。