Facebookのフィードに流れてきたかなにかで、「これは」という寸言を見つけました。
「どうせうまくいくし」。
これね、目からウロコというか、衝撃的でした。大げさですけど本当にそう。
どうせ――。単なる副詞です。「いずれにせよ。どうしたところで。」(小学館「新選国語辞典」)という意味でしかない。なのに、どういうわけかネガティブな響きがありますよね。
それはこの「どうせ」の後、打ち消しや否定的な言葉で受けることがほとんどだからじゃないかな。「どうせうまく行かないし」「どうせ話しても無駄だし」のような。「どのみち(どうなるものではない)」という、否定というか諦観のような意味が込められている気がするんですよね。
この「どうせ」は相手を否定する性格よりも、自分に向けた言葉なんですよね。それもガーゼでキズをくるむように、内面をそっと保護するものなんです。
何かに期待してがっかりさせられたことは誰でもあると思うけど、それをたやすく忘れたり、乗り越えたりしてさっさと次に行ける。そんな人ならば全然問題ない。
失望を何度か経験し、トラウマと言わないまでも、いやな記憶が片隅に残っている。そんな人が苦い経験値から期待は禁物だと自戒を込めて、「どうせ」という言葉を使うんです。期待しなければ傷つきもしないし、キレることもない。「ほーらやっぱり(ダメだった)」で終わりにできる。
そこへきて、この「うまく行く」という、アンビバレントな組み合わせで終わらせる言葉の発想にはヤラレタ。これなら無理くりポジティブシンキングにならなくとも、自然につぶやくことができます。しかもこの短いフレーズ。場面を問わずボソッと言えるし、頭の中でそうつぶやけば、簡単に思考チェンジできます。
「パワーポーズ」とか「悩まない」とか、そういう解決法は自分に向かないようなので、このつぶやきをためしてみます。
「どうせうまくいくし」か……。素晴らしいなぁ。