手帳といえばぼくは手書き派。2010年からはモレスキン一筋を通しています。このモレスキンが、ここ数年は日記ならぬ日報と化しているのです。
誰に報告するのでもない、自分に向けての日報です。本来なら予定を書き込む手帳。ですが、ぼくはその日したことを書き留めておく。
なんのため? 強いて言えば、昨年の同時期「何してたっけ?」と行動を振り返り、確認するためです。本当に強いて言えば。
「強いて言えば」と強調するのは、要はほとんど振り返ることをしないからなんです。年末に鍋でもつつきながらモレスキンをめくり返して、せいぜい「あぁ、こんなことあったね」的に回顧するくらい。
予定も書き入れてますが、それは手帳の前半にあるカレンダー式のマス目、狭っくるしいスペースに走り書きしてます。ので、ミミズののたくったような文字で書き込んだその「予定」と、1週間1ページ単位で日ごと横線に区切られた「今日の出来事」を分けて使っているのが現状です。
なぜ振り返りもしないのにモレスキンに書き入れるのか。
それが自分でもよく分からんのです。
あったことのうち、モレスキンに楽しいことだけ書いていたら平日が空白だらけに。それは寂しいと仕事のことも書き込むようになり、いつしかこのブログに線路が延びていた。
習慣化というか、なくてはならない毎日の儀式のようでもあります。
このブログが日記というか身辺雑記、内省の記録であるとするなら、モレスキンは覚え書き、つまりメモですね。
今ごろですが、この歳になって生産性とか行動するための根拠とか、「自分の成長」につながるものに敏感になってます。が、こういう無意味なこともひとつやふたつ、あってもいいんじゃないかなと思うのです。一人ふと立ち止まる時間、この余白を常に持っておきたいな。