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人間の辛抱とニッチタイムをもっと活用したメディアがあったら。

鈴本の2月中席夜の部。橘家圓太郎さんがまくらでこんなことを話しました。

「現代人ってのは辛抱が下手になっている。東京で電車が3分も来ないっていうと、もうイライラですよ。そこへ行くと寄席はお子さんを連れてくるにもいい。辛抱ってものを身に着けるにこれ以上のところはないでしょう」と。

木戸銭を払っても必ず笑えるとも限らないし、とも付け加えてさらに笑わせてくれましたが。辛抱下手については「それ、ぼくのことです」と返したくなりました。

オソロシイもので東京の地下鉄に慣れきってしまい、「電車はすぐに来て当たり前」と思っているフシがあります。誰が?ぼくがです。通勤の朝などは「電車は、おれがホームに降りたらオンタイムで滑り込んでくるもの。待たせるなんざあり得ない」なんてゴーマンかましてます、内心。

スマートフォンが定着してからというもの、現在人の待ち時間の許容度が上がっているという調査結果も出ています。それによると最大5分までならOKだそうで、これはスマホとの関係性を無視できません。

その待ち時間、何しているか。みんな指を動かしているのです。だから電車の中で下向いて画面を見ている。辛抱の度合いは一昔前は貧乏ゆすりとか足をコツコツ鳴らしたりとか下半身に表れてましたけど、これみんな、今はヒトの指に代替されてるんじゃないですかね。SNSでもゲームでもウェブコンテンツでも、スマホ(ケータイ)ユーザーは親指が5秒以上止まっていることがない。みんな「指さびしい」のです。

一方で電車内でテレビ番組を見ている人は少ない。これはユーザーに時間の主体、選択権がないからではないでしょうか。

たとえば日経電子版のような新聞、ネットコンテンツ、書籍(電子でもリアルでも)は「いつ、どのようなものに触れるか」の選択権はユーザーにあります。テレビ番組は同報性は高い(いっぺんに同じ情報を大勢に伝えられる)けれど、時間選択のボールが送り手にある。スマホはコンテンツの切り替えができる分だけ同報性は低いですが、ボールは受け手にある。

人間の辛抱とニッチタイムの相関性。ここにモア・フォーカスしたメディアができたら面白いですね。本編時間の長短によってストーリーや結末が変わるドラマとか、一人あるいはネット上の対戦型で行う「フリック入力早打ち選手権」「音声入力どれだけうまくできたか選手権」とか。いろいろ妄想してしまいます。

ちなみにぼくはウォークマンでよく落語を聴きます。目的地に着いていったん途切れたとしても、意外に最後まで聴けますよ。途中までの話でも、意外と覚えているものですね。

この記事を書いた人

hiroki「酒と共感の日々」

hiroki

Webの中の人|ウイスキー文化研究所(JWRC)認定ウイスキーエキスパート|SMWS会員|訪問したBAR国内外合わせて200軒超|会員制ドリンクアプリ「HIDEOUT CLUB」でBAR訪問記連載(2018年)|ひとり歩き|健全な酒活|ブログは不定期更新2,000記事超(2022年11月現在)|ストレングスファインダーTOP5:共感性・原点思考・慎重さ・調和性・公平性