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配信は音楽を遠ざけたか。

YouTube(ユーチューブ)での視聴をきっかけに、昔の楽曲に再度ハマることがよくあります。邦楽・洋楽から落語まで。そのたびに、自宅にある在庫のCDを探しまくって発掘する、配信楽曲を検索する。見つからなければ中古レコード店を探すか、TSUTAYAでレンタルするか。そうやって見つけてきてはパソコンを通じてウォークマンに入れる。これの繰り返しです。

80年代の松田聖子の歌の上手さとパワーに驚愕し、中島みゆきの楽曲に泣き、柳家小三治の「鼠穴」にズシンと来る。そんな感じで、ながら仕事やちょっとした空き時間をサーフィンし、本格的に聴きたくなったら上述のようにCDを調達するわけです。

YouTubeなどへの動画アップロードや配信インフラの発達によって、レコードやCDといったリアルな音楽ソフトを手にすることが激減しました。

リアルなもの好きとしては、さびしいかぎり。ジャケットを飾ったり、ライナーノートを読んだり、各曲の参加ミュージシャンの名前は、ダウンロードでは入手できないのですから。

しかし一方で。突然聴きたくなったものも、一発で調べ、音源を探すことができるようになりました。所有することの無価値化が、時代のスピード感とともに押し寄せてきた。というより、抗う間もなく流れが変わった。

9年前、ミュージシャンの加藤和彦さんが「世の中が音楽を必要としなくなり、もう創作の意欲もなくなった。死にたいというより、消えてしまいたい」という遺書をのこして命を絶ちました。確かに違法アップロードやテンバイヤーによって、プロの音楽家やアーテイストの創作活動や収入が阻害されていることは否めません。

けれども、それでもなお。それが『世の中が音楽を必要としなくなった』ことにはならないと思います。それは死ぬ理由にならないでしょう、と声を大にして言いたい。事情を知らない門外漢だけど。ほんとうに悔しい。

むしろ技術の進歩が、音楽を身近にしているとは言えませんか。生まれ育った年代や環境によって、昔なら知りえなかったはずの作品に、何かのきっかけで出会うことが日常にあるのですから。

それって、すてきなことじゃないかな。

たとえ聴いた瞬間にピンとこなくても、ずっと後に年を取った後で、ふと「そういえば」と思い起こすこともある。年を取ってから初めて良さがわかるときもある。

ただひとつ、ネットでタダで見聞きしたものについては、たとえすぐでなくてもアーティストに還元するようにしています。CDを買うとか、映画を観るとか、ライブに行くとか。多少にかかわらず気持ちの問題。共有やシェアもけっこうだけど、エンターテインメントを享受する側みんながそういう意識を少しでも持つと、良い方向に変わると思います。

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hiroki「酒と共感の日々」

hiroki

Webの中の人|ウイスキー文化研究所(JWRC)認定ウイスキーエキスパート|SMWS会員|訪問したBAR国内外合わせて200軒超|会員制ドリンクアプリ「HIDEOUT CLUB」でBAR訪問記連載(2018年)|ひとり歩き|健全な酒活|ブログは不定期更新2,000記事超(2022年11月現在)|ストレングスファインダーTOP5:共感性・原点思考・慎重さ・調和性・公平性