有松散策を経て午後は名古屋中心部に戻り、名古屋城へ。さすがに名古屋という場所柄、とにかく広い。そして予想を上回る金ピカ感。天守閣は木造復元工事中のため入れませんでしたが、それでもかなり見て回ることができました。
名古屋城は徳川家康が1609年(慶長14年)に、尾張藩主で家康の九男義直の居城として建てたもの。以後歴代藩主がここに住んだそう。
「尾張名古屋は城でもつ」なんてことを言いますが。名古屋城、とにかくゴージャス。そこかしこが金また金の装飾、といえば大げさか。金といえば黄金の茶室を造らせた秀吉を想起しますが、考えてみれば名古屋城だって金鯱城の異名をとりますもんね。
天守閣は工事中ですが、石垣部分より上の城郭はばっちり望めました。上部の金鯱は、遠くからでもそれとわかるピカピカのシンボル。カラスが群がっていることからもその輝きが伊達でないことが分かります。城郭の下の石垣には足場が組まれ、職人さんが測量していました。
僕はぐるりと庭を回る前に、本丸御殿へ。その本丸御殿の「湯殿書院」と「黒木書院」は、決まった時刻に人数を制限して公開されています。幸運にもジャストタイミングで入ることができました。
湯殿書院は、文字通り風呂があります。バスルームではなくサウナといったところか。この時代、風呂といえば蒸し風呂を指すそうで。黒木書院は木材に用いた松の色が呼称の由来とか(本丸御殿の他の部屋は総檜造り)。清須城内の家康の居室を移築したともいわれています。
ですが、ここは始まりにすぎませんでした。見学者は本丸御殿の表玄関から1634年の家光の上洛に合わせて増築されたという「上洛殿」まで、中を歩くことができますが、これでもかという豪華なしつらいになんだか疲れてしまいました。
こちらのサイトで詳しく解説しています。
猛虎や豹、風俗図が描かれた襖絵、天井絵。贅を尽くしたとしか言いようがない彫刻欄間や釘隠しなどの飾り金具。
もともとは藩主の居住空間だったのに、上洛の中継地として立ち寄った際将軍が結局は独占使用。本丸御殿を使った将軍は秀忠と家光、幕末の家茂の3人。将軍が使ってからというもの、城の持ち主である尾張藩主ですらこの本丸には立ち入らなかったそう(藩主は本丸とは別の「二之丸」に住んでいたらしい)。
ま、なんとなく気持ちはわかります。こんなまばゆいばかりの空間、落ち着かないもん。キラキラして楽しいと思うのは最初だけだったんじゃないですかね。
今によみがえった本丸御殿、復元また復元なんですよね。先の大戦時の空襲で焼失してしまい、2009年からの復元工事を経てようやく今年2018年6月に公開されたばかり。だからこそピカピカなわけですが、道理であまり実感が伴わないわけです。
元に戻す、元に限りなく近い状態にする。ましてや400年以上前の江戸時代のものとあっては、莫大なコストと労力が必要ですから、それ自体はたいへんなことですよね。
でも僕としては、やはり昔から残っているものにより魅かれます。たとえ形を変えていても、今の時代に適合した仕様になっていたとしても。かつ実際に今も平然と使われている。それが在り方としていちばんかっこいいんじゃないかと思うんです。