先週末、太宰治の墓参りと、太宰が後半生を送った三鷹を散歩しました。禅林寺(墓所)→太宰治文学サロン→陸橋→玉川上水へ。三鷹駅からゆっくり歩いても3時間ほどで、太宰治の足跡をたどることができます。
禅林寺はJR中央線・三鷹駅から徒歩約15分。ここに太宰のお墓があります。墓石にはそのまま「太宰治」と刻まれています。本名の「津島修治」ではないのですね。太宰をしのぶ「桜桃忌」には、ここの全国からファンが集い、お墓にさくらんぼの実を敷き詰めるのだかとか。
太宰の墓の斜向かいには森鴎外の墓もあります。この2人が同じ寺のすぐ近くにある奇縁。どちらも豪奢ではなく、立派な、という表現が合う墓ですし、禅林寺全体もたいへん手入れが行き届いていて素晴らしい。ここに眠っている理由がわかる気がしました。
そこから駅のほうに戻り、三鷹市太宰治文学サロン(入場無料、月曜・年末年始休み)へ。こじんまりした1フロアに、太宰直筆の原稿や書簡、写真、資料などの展示を見ていると、職員さんがペラの資料をくれたり、解説をしてくれたりします。
太宰は疎開から東京に戻ってきた30歳から、玉川上水で愛人の山崎富栄とともに入水自殺する39歳まで、三鷹で暮らしています。三鷹駅前郵便局斜向かいにあったという仕事場(中鉢家跡)も見に行きましたが、現在はマンションになっていて、当時の面影はありません。
中鉢家跡から徒歩5分ほどにある陸橋(三鷹電車庫跨線橋)にも上ってみました。ここに佇む太宰の写真が、上記のサロンに展示されています。JR線の車庫も望む跨線橋で、カメラを構えた鉄道ファンの姿も。なるほどいい眺めです。
三鷹駅を出て左手にある玉川上水は、ほんとうにここで亡くなったのかというくらい、小さな水流です。が、窪みは深く、水量も当時と今では比較にならないほどでしょう。大人が流されてしまうのですから。この玉川上水を挟んだ西側が三鷹市、東側が武蔵野市なんですよね。
駅の反対側にも少し歩いてみました。ロータリーの手前、少し目立たないところに碑を見つけ、なんだろうと見てみると。こちらは国木田独歩のものでした。たしかに独歩は『武蔵野』という作品を書き残しています。太宰に比べると、やや寂しい感じ。もう少し盛り上げてもいいのではないか。地名が作品名ですからね。
半日もかからなかった太宰巡りですが、発見があって楽しかったです。たまには真新しくリアルなインプット、しないとね。
そうそう、禅林寺の後に食事した中華料理店のハルピンのことも書いておこう。餃子と小籠包の名店のようで、どちらも美味しくてペロリ。ざっかけない雰囲気も良かったです。