話を聞いてくれる人、向かい合える人。

昨日、コミュニケーションでちょいと感動したことがあって思ったのですが(詳細はいずれ後々)。人といういきものは、自分の話をしているときが最も気持ちよいそうです。

これすなわち。傾聴してくれる、話を聞いてくれる人がいないと成り立たない。だから、そういう話を聞いてくれる相手が一人でもいる人は、幸せだと思うんですよね。

ぼくなどは、自分の話をすることが、ほぼない(だからブログなんざ書いてる、ははは)。それは話を聞いてくれる人が身近に極端に少ないっていうのもあるし、自己開示するには警戒感が先立ってしまい、オープンマインド全開とはならないのもある(心がけてはいるんですけどね)。

あとは単純に、自分が話すよりも、人の話を聞くほうが好きなんですよね。特に裏っ側の話や、その人がふと漏らす内心の心情や本音。前者はたとえば酒場で相手してくれるバーテンダーが話してくれるし、後者は相手が話してくれたことが単純にうれしい。なんか胸襟を開いてくれたみたいでね。

もともと大勢がいる歓談的な場よりも、1対1で相対するインタビューのほうが好きで、その準備に没頭しているときなど、時間が経つのも忘れてしまったものです。1対1だと相手の懐に入れるかが勝負で、秘話や本音などが聞けたときのうれしさったら。会話がぎくしゃくせず、スムーズに進んだときも最高です。

けれど、こうも思います。これは自分がコミュニケーション上手なわけではなく、相手が巧みということなんですね。自分が気分いいのは、相手がそれだけ自己開示もほどよくしていて、こちらに向き合ってくれている証ってことでしょう。

シゴトでも一個人としても。特定の好きな人と、尊敬する人と時間を過ごすのはうれしいものです。

最近仕事のテリトリーがガラリと変わって、日々修業が続いているのですが、ことコミュニケーションにおいても勉強づくし。営業の人と喋るのが楽しいのは意外な発見だし、先日ぼくが出張に付いていったその人も、とにかく素晴らしい人なんだよな。

そういえば、前にいた会社でも「すごい優秀だな」と感じたのはマーケティングの人たちでした。意識しないけど、決まって年下だったっけ。そういう人との会話が、だからすごく楽しかったし、刺激になった。貴重な勉強をさせてもらった半面、今に至るまで全然おかえしできてない自分がイヤになるときもあります。

キホン劣等生どころか、努力という努力をしない自分がなんとかやってこられているのは、そういう周りの人との縁のおかげです。微力ながら、貢献の「こ」の字くらいはしないと。つくづく思うのです。

この記事を書いた人

hiroki

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紙もウェブもやる編集者 / ライター / ウイスキー文化研究所(JWRC)認定ウイスキーエキスパート / SMWS会員 / 訪問したBAR国内外合わせて100軒超 / 会員制ドリンクアプリ「HIDEOUT CLUB」でBAR訪問記連載(2018年) / ひとり歩き / 酔っぱらわない酒活 / ブログは原則毎日更新750記事超(2019年2月現在)/ ストレングスファインダーTOP5:共感性・原点思考・慎重さ・調和性・公平性