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創業110周年の奈良ホテルに宿泊。

創業110周年の奈良ホテルに宿泊

大阪で1泊後、奈良に向かいました。大阪→奈良はJR線大和路快速でジャスト60分。こんなにアクセスいいのに、奈良に遊びに行くことはしませんでした。京阪神(京都・大阪・神戸)にはわりとよく行くのにね。今回念願の「奈良ホテル」宿泊をかなえるべく、ようやく行くことができました。

奈良ホテルの創業は1909年(明治42年)10月17日。今年2019年に創業110周年を迎えます。JR奈良駅から奈良ホテルには路線バスで約15分(改札を出て右、東出口ロータリーの一般降車口からホテル宿泊者用の専用バスもあり)。15時30分ごろ到着しました。

純和風檜造りの建物は、辰野金吾の設計。玄関を入ると、美しい木造の空間と高い天井に迎えられます。なによりも「匂い」がまず違う。いい匂い……。当たり前ですが、鉄筋製の建物にない、本物の木+積み重ねてきた年輪が重なったような匂いが鼻に入ってきます。

奈良ホテル本館シングル客室

ロビーから本館客室へと通じる廊下は、歩を進めるごとに軋む音も心地いい。それに今では贅沢と思えるほど、幅がゆったりしています。人とすれ違うときにぶつかる心配がない感じ。部屋は本館シングル・パークサイドの1室(写真上)を確保したのですが、通された部屋は1人で使うにはもったいないほどの広さだし、やっぱり天井が高い。

部屋には同じく創業110周年の牛乳石鹸とのコラボによる石鹸が。見てください、奈良の動物シンボルである鹿の絵が表に、おなじみ牛の絵柄は裏面に生きていました。

奈良ホテル創業110周年牛乳石鹸コラボ(鹿)

奈良ホテル創業110周年牛乳石鹸コラボ(牛)

建物は耐震工事中のため、本館のBAR「ザ・バー」はカフェラウンジも兼ねて別室にて仮住まい。1杯だけ飲んで辞去して、ロビーをうろうろ。壁面に飾られている上村松園の絵画の下に目をやると、暖炉のようなものが。そこに灯っている赤色の光に、思わず手をやって本物の炎かどうか確かめてしまいました。

もちろん炎なわけはなく、赤色の光は電球によるものです。酔ってるのか、おれ。と、通りかかったホテルマンの男性に「申し訳ございません。それは本物(の暖炉)ではないんです」と。いやはや恥ずかしい。

そのジェントルな男性が、原形を残したうえでの耐震工事についてや、ヒーター等機材についての歴史など、建物の由来をいろいろ説明してくださいました。なんでも朝8時40分ごろから奈良ホテルの歴史についての説明会を実施しているとのことで、それはぜひ。そういえば箱根富士屋ホテルも内部を見学しながらホテルマンが説明してくれる館内ミニツアーを実施してたっけ。

翌朝朝食後、8時42分に「桜の間」(下写真)へ。すでにフロアの座席はこの”講義”目当ての宿泊客でいっぱい。ここに宿泊した皇族方や内外の著名人のエピソード、絵画など美術品の価値などを約1時間にわたって説明してくださいました。ここ奈良ホテルでも、箱根富士屋ホテルのように館内を巡るツアーを行っていたようですが、諸事情で今はロビーの一室を使ってこじんまりと行っているそう。

奈良ホテル ロビー「桜の間」

奈良ホテルのブランド力、しかもその歴史は伊達に長くない。それはそれは印象的なエピソードの宝庫です。が、なかでもホテルの方の説明で、個人的に深く感銘を受けたのは下記ふたつです。

◆なぜ外観が純和風か。
クラシックホテルというと日光金谷ホテル、箱根富士屋ホテル、万平ホテルなどのように和洋折衷の外観をイメージするのですが、この奈良ホテルの外観は、冒頭アイキャッチ画像のように純和風に近い。設計は辰野金吾。ジョサイア・コンドルのお弟子さんにして東京駅丸の内駅舎、日銀本店、大阪市中央公会堂、旧岩手銀行本店など、手がけた建築物を見れば「なぜ奈良ホテルだけ純和風に?」と思います。

それは奈良ホテルよりも前に建てられた帝国博物館(現在の奈良国立博物館)に理由があるよう。奈良博は純洋風のデザインにして、奈良県民に不評を買ったそうです。こちらの設計は工部大学校(現在の東大工学部)造家学科で同期生だった片山東熊。もしかすると、片山から友人である辰野に「純洋風にこだわるのは止めとけ」とアドバイスがあったのかもしれませんね。

◆アインシュタインのピアノ。
この奈良ホテルには、物理学者アインシュタインも来日時の1922年(大正11年)に宿泊しています。そのときにアインシュタインが弾いたというハリントン社製のピアノは、終戦後に行方が分からなくなっていましたが、今ではホテルの手に戻っています。このピアノがホテルに戻るまでの、数奇な出来事の数々にうなりました。

ホテルの調べにより、1945年(昭和20年)の終戦直後に、旧国鉄大阪鉄道管理局庁舎の地下倉庫に移されたそう。終戦後、米軍によるホテル接収で、ピアノの行く末を案じたホテルの職員がひそかに大阪に「疎開」させたのでしょう。そのピアノがホテルの所有物であることを裏付けるべく、高齢になった元ホテル従業員に証言協力までしてもらいながらも、その努力の甲斐なく、ホテルの手に戻るまでは時間を要することに。

その後、アインシュタイン博士が京都・奈良に滞在していたときに通訳をしていた男性の子息からの「アインシュタインが奈良ホテルのピアノを弾いている写真の原版が、日本近代文学館に保管されている」との情報をもとに、ホテルは鮮明な写真を入手。実に63年ぶりにピアノが帰還したわけです。この通訳を務めた当時の高校生が、後に第一次南極観測隊の越冬隊長となる西堀榮三郎さん。アインシュタインから強い影響を受けた西堀さん(の子息)が、そのピアノの里帰りに大きな役目を果たしたという、オチまですごいエピソードです。

奈良ホテル(アインシュタインのピアノ)

それにしても。なんというか、ホテルマンひとりひとりが、自分の仕事場である奈良ホテルを誇りに思っているのが伝わってきました。そらそうですよね。だって自慢できるだけのヒストリー、ストーリーの積み重なりがあるんですから。いやぁ、ほんとうにすてきなホテルでした。クラシックホテル宿泊制覇までもうちょい。次はどこに行こうかな。

奈良ホテルの廊下

奈良ホテル「ザ・バー」で1杯

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hiroki「酒と共感の日々」

hiroki

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