JR田端駅北口から徒歩2分、田端文士村記念館で開かれている「芥川龍之介の生と死~ぼんやりした、余りにぼんやりした不安~」という企画展を見てきました(~2020年1月26日)。
これね、芥川のファンは出かけたほうがいいですよ。入場無料で展示点数こそ少ないですが、忌の際にしたためられた芥川の貴重な原稿、資料と解説は一見の価値あり。なによりも、芥川の死の直前・直後に交わされた周辺人物とのやり取りに胸打たれます。
「唯ぼんやりとした不安」という手紙を残し、自裁した芥川。この企画展はまさに「芥川の死」に的を絞り、訃報に接した作家たちが残した資料から、芥川の不安の正体に迫ろうというもの。
本展では死の前に芥川が谷崎潤一郎と文学論争を戦わせていたときの原稿、上海視察を綴った原稿(いずれも初公開)が展示されているほか、芥川が東京帝大在学中に書いた『孤独地獄』の原稿(新収蔵)が公開されています。
個人的に最も魅了されたのは、芥川の死に接した際の友人たち(文士仲間)が綴った言葉です。「恋愛ではなく家庭のせいだった」と意外にドライでにべもない谷川に対し、芥川に軽んじられていたのではないかと自己否定していた室生犀星は「その死を詮索すべきでない」と控えめ。だけれども、悲嘆にくれる思いを垣間見ることができます。葬儀で弔辞を読み、死から8年後に芥川賞を創設した菊池寛の言葉も胸に迫るものがあります。
この時代……いや、今もそうですが。感受性が鋭く繊細さ極まれりの人たち、ましてや芥川や太宰治、三島由紀夫、川端康成などなどあまたの才人は、それゆえに死というものへのハードルがないに等しいのかもしれません。
芥川にとっては妻も、3人の子どもたちの存在も死への抑止にはならなかった。「苦しければ死んでしまえ」というメッセージは、自殺が横行する今の世の中に重く問いかけてきます。
個人的に、死という得体の知れないものに対しては恐怖心のほうが圧倒的に勝ります。世に無駄な生などないと思いたい。才能は生きてこそ発揮されるもの。歴史にイフは禁物ですが、作家にしても長生きして多作なほうが、後世に読まれる率が高いのは明白。本展を見て、どんな才人でも「生きてこそ」なのだと再認識させられました。
この企画展、『文豪とアルケミスト』とのタイアップも行っているらしく、下写真のようなパネルで記念撮影する女子やお子さん連れのママらしき人も。名作への入口が多様化しているのは良いことですよね。