東京・文京区立森鷗外記念館で開かれている特別展『荷風生誕140年・没後140年記念 永井荷風と鷗外』(~2020年1月13日、期間中展示替えあり)を観てきました。
『墨東奇譚』『あめりか物語』などを書いた荷風は、鷗外を師と仰ぐほど尊敬していたそう。初対面は1903年(明治36年)1月、芝居小屋・市村座の客席。荷風は隣り合わせた鷗外に挨拶した際に「『地獄の花』ハヨミタリ」と返され、いたく感激たという記録が残されています。
鷗外もまた荷風の才能を認め、欠員が出た慶応大学文学部教授に推薦したり、荷風主宰の文学誌『三田文学』の刊行にも一役買ったりしたんだとか。
鷗外と荷風は、作風も足跡もバックボーンも全く異なります。軍人で官僚の鷗外に対し、荷風は父親の希望に背き、海外留学を経ての銀行マンの道を自ら閉ざして文学に傾倒。1909年の『ふらんす物語』は上梓後すぐさま「風紀ヲ壊乱スルモノ」と発禁処分を食らいます。
作品にも表れる、荷風の自由な気風が鷗外の歓心を買ったのかもしれません。鷗外は荷風を「面白い人」と一目置いていたんですよね。よく「天才は天才を知る」と言われますが、この二人にはまさにそれが当てはまるのかもしれません。
この鷗外記念館は貴重な資料がしれっと展示されていて、訪れるたび驚嘆するのですが。今回も荷風の『ふらんす物語』『あめりか物語』の初版本(~2019年11月10日)や、荷風が鷗外の長男・森於菟に宛てた葉書などなど、ファン垂涎の原本が一堂に会しています。