半年前から毎週1回、区が主催する手話講習会に参加しています。習い始めたのは、ろう者が身近にいるから……ではなく、単純に「かっこいい」から(すみません不純で)。それと「聞こえのない世界での会話、コミュニケーションに魅かれた」というのが動機です。もちろん習うからには少しでも生かしたい、お役に立ちたいと思いますが……。
いかにも浅薄で子どもじみた動機だと自分でも思いますが。数年前、駿河台の明治大学前を歩いていたとき、猛烈なスピードで手話で会話しているシニアの男性4人ほどのグループとすれ違ったんです。間近で見た、音のないコミュニケーションが衝撃的で、傍目で見てとにかく「様子のいい」ものだったんです。「これを自分もできるようになりたい」と。
目下まだ初級講座を受講中で、やっと挨拶や簡単な単語、自己紹介ができる程度です。習っていて思ったのは、「手話と落語は似ている」ということ。個人的に落語を聴く(観る)のが大好きなので、つくづくそう思うんですよね。
ひじょうに上手な噺家が表現する仕草、手の動きなどの所作を見ていると、時折、ほんとうに酒や煙草を飲んでいる、引き戸の心張棒が見える、春夏秋冬の季節や天候を感じられるときがあります。景色が見えるんです、江戸の風が吹いているんです、高座に。
で、自分が習っている手話(手話奉仕員要請テキストに基づく日本語対応手話)でも、その表現の仕方がすごくきれいだなぁと感じ入る手話単語があったりします。噺家が高座でひょいとする仕草と、手話の話し方が一致する場面があるなと感じたのは、これまで何度かありました。
いちばん最初に教わったことで、継続して意識していることがあります。それは、手の動きだけでなく「表情」も大事であること、アイコンタクト=視線を合わせること。読み取ろうとするあまり、相手の手指ばかり見入ってしまいがちですが、相手の口の動きでも「何を言っているのか分かった!」と通ずることができるのです。
教えてくださる佐伯先生、助手の酒井さんを見ていると、二人とも表情が豊かで、仕草がとてもきれい。こういう手話を操れるようになるぞと思う一方で、ふだんの会話でも自然に身振り手振りが出るようになるのもご愛嬌だなと自分で思います。もちろんそのゼスチャーは、手話由来のものです。
週に1回の講習会、仕事の関係でいつまで参加できるか分かりませんが、なんとか続けていきたい。もし通えなくなったとしても、自学自習していくつもりです。