「人生には上り坂もあれば下り坂もある。もう一つ『まさか』という坂がある」と言ったのは、たしか小泉純一郎元首相でしたか。個人的にちょっと……いや、かなり凹む「まさか」があって、参ってしまった1日でした。願掛けはしても無害ですが、期待や計算(皮算用)は、ほんとにしないほうがいい。わかっているつもりですが、自分の認識の甘さを呪ってもいます。ニュートラルでいることは難しい。人として、まだまだです。
良い「まさか」なら吉報ですが、悪い「まさか」の場合は厄介です。落ち着いて起きた事実を受け止め、やるべきことを淡々と進めていく。「次、また次」と動作を進めていく過程で、心の立て直しは徐々に出来ていくものなんですよね。良いことであれば、意識せずとも自動運転のように行動できるのですが、悪いときほど縮こまってしまい、気力が削がれる。それを打ち消すべく「次、また次」と行動していくのが、いちばんの処方箋です。
判断や言動(失言)など、起きたことを悔いても仕方ない。繰り返さないよう学び、反省することははたしかに必要ですが、それはときに後悔ともオーバーラップし、自己嫌悪に陥ってしまう。で、そうならないようにするために。ぼくの得意技でもあるのですが「なかったことにする」のです。きれいさっぱり忘れちゃう。
忌まわしい記憶は、時間が解決してくれます。時間とともに薄らいでいくものです。時間が経てば経つほど、記憶は遠くに見える陽炎のようになり、やがて「あれはほんとうにあった出来事なのか」と疑いたくもなる。幻を見たかのように。
それを補う細かい要素としては、「とにかく寝る」「親しい人と(置かれた問題とは全く無関係の)会話をする」のほか、「自分の恵まれた状況を確認する」があります。ネットや新聞・テレビからは、毎日毎日これでもかというほど胸くそなニュースが報じられ、人生詰んだなって人の所業がイヤでも目に入ります。それに比べれば自分などは全然マシだぜって、思えるんです。
いや。塞翁が馬といいますが、そもそも人生に起きる幸不幸・良し悪しなんてのも、自分の考え方次第。すべては縁で、神のお導きでもあるような気がします(なにやらスピリチュアル!)。できるだけの行動をしたうえで、出る結果を楽しみにする。そういうふうに過ごしたいですね。
「人事を尽くして天命を待つ」「天は自ら助くる者を助く」