新型コロナで公演中止になっているエンタメは、映画・演劇・コンサートばかりではありません。
寄席や独演会などホール落語会も相次いで中止に追い込まれています。
仕事が干上がってしまう状況が長引くなか、ついに噺家自身が動画配信へと重い腰を上げています。
そのうちの一人が、春風亭一之輔さん。
「最もチケットが取れない落語家」の一人である一之輔さんが、本来なら上野鈴本演芸場で自らの主任興行を務めるはずだった2020年4月下席=21日〜30日に、落語のライブ配信を行ったのです。
期間中、Youtubeでその高座を見させていただきました(演目やまくらについては、ここで言及しません)。
もちろん落語自体には大笑いしたのですが、見ていて思ったのが、「あぁ、やっぱり生で見たいな」ということ。
演劇でもコンサートでも講演会でもサイン会でも、生でアーティストや登壇者の姿を見られる、声が聴けることが大事。
映像と比べるまでもなく、伝わり方の温もりが全く違います。
PCやスマホであれ、テレビモニターであれ、画面を通してでは、どこか遠くの世界から中継で送られてくる映像を覗いている感じ。
ハプニング含む想定外の出来事や、観客・会場の一体感・臨場感というものが、どうしたって欠けてしまう。
どんなに優れたプロのエンターテイナーだろうと、ステージ巧者だろうと、こればかりは如何しようもない。
演出家のケラリーノ・サンドロヴィッチさんもTwitterで、「演劇は絶対的に生で観るもの」と断言しています。
白井晃さんも仰ってたけど、俺もかねてから「演劇は絶対的に生で観るもの」で「映像で観る演劇は別物であり、生より数段劣る』と騒いできた。もうお爺さんだから新しい形の発信は基本次世代に委ねたい。
とはいえ、劇場での上演が叶わない今、考えているのは、演劇っぽさはあっても演劇では無い何か。— ケラリーノ・サンドロヴィッチ (@kerasand) May 4, 2020
入口としてWOWOWやCSなんかの舞台中継を見て、興味を持った人が劇場に足を運ぶというのが、エントリーとしての方法の一つとは思います。
あるいは、どうしても生で見たくても叶わなかった人が、映像化されたもので初見する、生で見たけど後から何度でも見たい、保存しておきたい。
生で楽しむものの映像化は、本来ならそういう楽しみ方のはず。
が、演劇であれ、落語であれ、まず「配信ありき」になると、もうそれは当初から
数多ある娯楽の中のコンテンツのひとつ
に成り下がってしまう。
見る側つまり客のほうに、ありがたみが薄れてしまうんじゃないかな。
こんなに手軽に見られるのなら、わざわざ出かける必要がないね、高いお金を払う必要ないね、というように。
演者や関係者にすれば、食える食えないがかかってるのだから、無責任なことは言えません。
ただ、なんというか「消費されるだけのコンテンツ」にはなってほしくない。
そう思います。