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映像技術の進化で思う、やっていいこと・悪いことの境界線。

デジタル技術の進歩により、実写映画でも「実写っぽく見せるVFX」が当たり前に使われるようになって久しいですね。むかしは作品によってはCGやVFXを押し出すのがセールスポイントになっていましたが、今はいかにしてそれら最新技術を観客に実感させないかという段階に来ているのかもしれません。

2018年公開の米映画『ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ』(Sicario: Day of the Soldado/ステファノ・ソッリマ監督)のVFXなどは、その技術に驚くとともに「知らないほうがよかった」と思えるほど、自然な出来栄え。むかしは見破られる合成技術は笑いのタネにもなっていましたが、今やその逆で、100%(に近い)実写映画を判別するのは至難の業でしょうね。

最新映像技術の進化はむしろ歓迎すべき点といえます。監督の表現の幅が広くなるわけですから。ただ、最近「これはさすがにやり過ぎだ」と思う例がありました。『NHK紅白歌合戦』で登場したAI美空ひばりさんです。ぼくは視聴しておらず、後で知ったときに、言い知れぬ「薄気味悪さ」を感じました。下記、武田砂鉄さんのコラムが参考になると思います。

そこに故人の遺志は介在していないのだなと、ファンでもないのに絶望的な気分になります。遺族がOKなら、なんでもOKなのね。この企画について「冒涜だ」と話したアーティストもいました。それがまっとうな感覚でしょ。ひばりさんでNHKといえば、2007年の『第58回NHK紅白歌合戦』で「愛燦燦」を小椋佳さんが“生前のひばりさんの映像とのデュエット”で歌ったのが思い浮かんだのですが、これがやっていいことの境界線ではないでしょうか(実際いい企画だったと思います)。

昔の映像や歌を見聞きするので十分では。でもそのうち「言ってもいないこと」「歌ってもいない曲」「演じてもいない役」などが技術で可能になるのでしょうけど、実現できたとしてもダメだよね。倫理的にどうとか以前に、虚しくないのかな? 偲ぶのであれば頭の中で想像するのが一番。行き過ぎたワガママは、一瞬ドーパミンを出せるかもしれないけど、心を豊かにはしない。

極東のテレビの話だけかと思いきや、残念ながら案の定、映画の本場アメリカでも動きがあるようです。進んだ時代のおかしな側面――。

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hiroki「酒と共感の日々」

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Webの中の人|ウイスキー文化研究所(JWRC)認定ウイスキーエキスパート|SMWS会員|訪問したBAR国内外合わせて200軒超|会員制ドリンクアプリ「HIDEOUT CLUB」でBAR訪問記連載(2018年)|ひとり歩き|健全な酒活|ブログは不定期更新2,000記事超(2022年11月現在)|ストレングスファインダーTOP5:共感性・原点思考・慎重さ・調和性・公平性