少し前まで「責任を取る」という発言をした人は、イコール役職を辞するというイメージだったんですが。
選挙で大敗を喫し「責任を感じている」との発言で、「辞職へ」と報じられたかつての橋本龍太郎さんのように(古いね)。
それくらい重い言葉のはずなのに、このごろ意味が軽くなったなぁと感じます。
なんというか、責任という言葉を使いさえすれば、過ちが許されると思っているようなフシさえある。
武田砂鉄さんは、与党の先生方を指してたびたび「責任痛感芸」として斬り捨てています。
責任痛感芸のレジェンド。 https://t.co/ek5FAGKxI8 pic.twitter.com/8eQqSZIjBu
— 武田砂鉄 (@takedasatetsu) February 24, 2021
面の皮厚く「職務をまっとうすることが責任」と、詭弁を弄した人もいました。
これは論外にしても、全然責任を取ってないのに、あるいは取る気さえないのに責任という言葉を使う。
美辞麗句じゃないっつーの。
こんなんだから、子どもに悪影響どころか、大人も平気でコドモ化しちゃう。
誰も責任を取らない世の中が当たり前になる。
オトシマエとかシメシとかケジメとか、つけるものを誰もつけない。
ほんとうの意味での大人が減っていき、今後は絶滅危惧種と化していくんでしょうね。
同じような言葉に「反省」という言葉がありますが、「反省してます」なんて軽々しく口にする人はたいてい反省してない。
ポーズです。
額にこれ貼り付けて患者対応致します✋
いつも心に国母和宏 pic.twitter.com/YqKZYFe1n5
— ちなり (@Chinari____) February 26, 2021
あ、でも國母和宏さん(またまた古いね)はいいキャラしてましたよね、個人的には面白いと思います。
それにしても、どうしてこう言葉が軽量化していくんでしょうね。
なんかもう、いろいろ情けないや。