「責任は重い」という言葉の軽さ。

少し前まで「責任を取る」という発言をした人は、イコール役職を辞するというイメージだったんですが。
選挙で大敗を喫し「責任を感じている」との発言で、「辞職へ」と報じられたかつての橋本龍太郎さんのように(古いね)。
それくらい重い言葉のはずなのに、このごろ意味が軽くなったなぁと感じます。

なんというか、責任という言葉を使いさえすれば、過ちが許されると思っているようなフシさえある。
武田砂鉄さんは、与党の先生方を指してたびたび「責任痛感芸」として斬り捨てています。

面の皮厚く「職務をまっとうすることが責任」と、詭弁を弄した人もいました。
これは論外にしても、全然責任を取ってないのに、あるいは取る気さえないのに責任という言葉を使う。
美辞麗句じゃないっつーの。
こんなんだから、子どもに悪影響どころか、大人も平気でコドモ化しちゃう。
誰も責任を取らない世の中が当たり前になる。
オトシマエとかシメシとかケジメとか、つけるものを誰もつけない。

ほんとうの意味での大人が減っていき、今後は絶滅危惧種と化していくんでしょうね。

同じような言葉に「反省」という言葉がありますが、「反省してます」なんて軽々しく口にする人はたいてい反省してない。
ポーズです。

あ、でも國母和宏さん(またまた古いね)はいいキャラしてましたよね、個人的には面白いと思います。

それにしても、どうしてこう言葉が軽量化していくんでしょうね。
なんかもう、いろいろ情けないや。

この記事を書いた人

hiroki

Webの中の人 / ウイスキー文化研究所(JWRC)認定ウイスキーエキスパート / SMWS会員 / 訪問したBAR国内外合わせて200軒超 / 会員制ドリンクアプリ「HIDEOUT CLUB」でBAR訪問記連載(2018年) / ひとり歩き / 健全な酒活 / ブログはほぼ毎日更新1,700記事超(2021年10月現在)/ ストレングスファインダーTOP5:共感性・原点思考・慎重さ・調和性・公平性