嫌なら、ミュートやブロックをすればいいのです。
情報遮断とかネット絶ちとか、なにも大げさなことをする必要はない。
見なければいい、あるいは見ないようにする仕組みを作っておけばいい。
それだけの話。
SNS全盛時代、自分が興味ある分野を追っていれば、どうしても要らぬ情報も入ってきてしまうもの。
たとえば、
- 知りたくない情報(映画鑑賞前の内容、推理小説の結末、スポーツの試合の結末など)
- ズレていると感じる論評
- 意見の合わない人のテキスト
などです。
自分の偏った見方を補正すべく、あえて合わない情報も取得するのは大事と思います。
視野を広める意味でも。
新聞なら、朝日も読売も日経も読んでバランスを取りつつ、自分のポジションを確認すればいい。
いっぽうでSNSは言い方が直截ですから、自分に合わない意見はナイフとなる。
頻繁に目につくことは、無意識のうちに刺されているも同然。
肉体的な痛みを伴わないのでいったんは受け容れてしまう。
けれども合わない意見を無理やり飲み込み、受け容れると、視野を広めるどころか、自分にバグが発生します。
自分の内面に悪影響を及ぼすのです。
論理だけで飲み込もうとすると破綻します。
では、どうやって可否を判断するか。
判断基準は感情面で不快を覚えるか否か。
もうこれは肌感・直感でいいのです。
時間をかけて受け容れられるのであれば否定はしませんが、直感で拒絶しているものを自分を無理に説得してどうするの。
だから自分から、なるべく見ないようなスキームを作っておくのです。
Twitterなら特定アカウントや特定ワードのミュートやブロックを。
FacebookやInstagramならミュートやフォロー外しをすればいい(Facebookは友達状態をキープしつつ、フォローをそっと外せます)。
いちばんダメなのが、相手に強要することです。
たとえば、
- こういう類の投稿はやめろ
- あなたの意見はおかしい
- 公式(作者や権利者)の見解でないのに勝手なこと言うな、するな
といったもの。
この手の正義感ぶったポストがいちばん質が悪い。
相手を変えようとするのではなく、自分が変わること。
リアルでもネットでもこれが健全に生きる鉄則です。